こんにちはっラブラブキラキラ

写真はその当時の2歳前のりゅうがくんです♥


今と違ってぷっくりしていて幼い顔です笑


あたしはその当時シングルマザーで
実家暮らしをしていたので、地元の保育園に
りゅうがくんをいれていました!

自閉症という判定を受けてからは
あたしの母から療育園にいれたほうが
いいんじゃない?
重度だし早くからいれたほうがもう少し
専門の園だし知的もなんとかなるんじゃないかと言われ。。。

私自身も療育もスタートする事だし
重度なら普通の園では迷惑ばかりで💦
そのほうがあの子のためになるんではないかと思い市役所に相談し、家から5駅くらい離れた
療育園に入れる事が決まりました♥


これが決まるまではかなりの時間が
かかりました!えーんガーン

まず、スタートした療育ですが
療育を受けることが息子には出来なかったショボーン

この頃の息子くんは環境の変化に
凄く弱く教室が変わるだけで大号泣の
パニックになりますゲロー

これがほんとにもう凄まじい声で
この世の終わりくらいなんで
周りからはめちゃくちゃよく見られてました💦

教室に入ることが出来ないので療育の
練習はまずはそこからでしたね。。。

本来は療育の先生と子供の二人だけ何ですが、慣れるまではあたしも一緒に教室に入ってました

息子くんのパニックは手足をとにかく
ブンブン大泣きしながら振り
耳を覆うように手で塞ぎますゲッソリ
そして、とにかく徘徊走り回ります

止まったら死ぬ!って魚くらいの勢いで
これをむりやり止めようとすると
余計にパニックが長引いたり
止めてもすんごい力で振りほどき
徘徊しまくります

ほんとに毎回これにはどうしたの?
止まれないのか?って驚きです


残念ながらこのパニックは現在八歳でも一緒です💦


地団駄を踏むときもありますが、
あとはやっぱり声が特徴的ですね

キーキーと甲高いタイプではなく、
うちはハスキーボイスで笑
カラスのようにずっとバーバーいいます🤦

かなりの低音ボイスとパニックのコラボレーション
もはやもうただのホラーです滝汗滝汗

何回目かでようやく慣れて教室に入れました

療育の鉄板のトランポリンが大好きになりました♥笑
あとは知育玩具を使ったおもちゃで指先の
動かし方の練習や、
洗濯バサミで布を挟む練習や
ちいさな穴にビー玉などをいれていく
作業などを学び少しすつ、ここは
こーゆうことをする所、この先生は
遊んでくれる信頼できる人みたいな感じで
泣くことは自然となくなりましたショボーン


このままでもいーんじゃないかな?って
保育園の先生達も面談時にりゅうがくんは
愛嬌たっぷりみんな可愛がられてますし
全然迷惑なんかじゃありませんよって爆笑

できる事はあたし達がフォローさせてもらうのでってほんとに園長先生含め言い方ばかりでえーん
手が他の子よりほんとにかかるのに
受け入れてくれて、加配制度もつけて
りゅうがに随時つきっきりの先生もつけていましたが、感謝でしかありませんでしたグラサン


あたし自身もその言葉に甘えてお任せきりで
仕事ばかりでしたが、
保育園の音楽発表会や運動会で現実を
目のあたりにしてしまいびっくり

療育園に入れる決断を下しました!


音楽発表会では当たり前にまだ小さな
女のコ男の子達が普通にお話していて
普通に走り回っていて

歌を歌って発表してるなか、もちろん喋れないし多動のりゅうがくんは、
所構わずウロウロしてるし、
たまに奇声をあげてみんなの歌が聞こえないくらい邪魔してるのですガーンガーン

あたしはその当時恥ずかしくてそれを
見るのが嫌でした。。。

沢山の親御さんがビデオとりながら
見てる中で、あーうちの子の奇声が入ってるよな💦とか

みんな自分の子の成長を噛み締めながら見てる中で、あたしはただただ惨めな気持ちになってました。。。

先生たちはそれでもりゅうがくんいい発声だね♥って褒めてましたが、全てが卑屈になっていた
私のこの当時の心にはそれすらも突き刺さってきてました。。。


そして運動会も案の定
りゅうがくんには加配の先生が常に横にいましたが
体操やダンスができるわけでもなく

みんなが止まってじっとしてないと行けないときに
ど真ん中の先生の所に奇声を上げながらずっといたりと

注目の的でした!
親子ダンスの時あたしはみんなの前に一緒に
出るのが怖かった

きっとみんな、これがあの子の親なのかって
見てるって思って前を向けなかったくらいです💦


そして一番最悪だったのがリレーでした
みんなゴールテープに向かってまっすぐ走る中
どこに行くのが逆走してるわ、走らないわ座り込むわで、りゅうがくんのゴールテープまちになっていて

先生は必死にこっちだよー
すごいねーとかもうすぐだよーって
かなりゴールテープを切るまでにうちの子で時間を使いましたし視線が痛かったです

その当時オムツ脱ぎもすごくて
至るところでオシッコやうんちもしてしまう
りゅうがくんキョロキョロ

運動会でもやらかしました!⚡
そう、走り終わった途端
フルチンにニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤ

これには先生も慌ててすぐに治してましたが
あたしはもう恥ずかしくて終わったと
思いましたね


本人は何も悪くないニコニコなので
怒ることはありませんでしたが

あたしは音楽発表会も運動会も行かなければ
良かったと思ってしまいました

あまりに他のことの差にここにいては
イケない!と思ったし

どうして自分の子だけ普通の事ができないの?!
と每日每日毎晩無性に涙が出てくる日が
続きえーんえーん


隣でねてる息子の寝顔をみては涙したことも多々ありました💦

この子の将来ってこのまま話せなくて
楽しいの?
あたしはこの子を死ぬまで育てられるの?って

どんどん自閉症の親になるってことが
重たくのしかかってきてしまい

その時自分の仕事も激務で夜遅かったので
精神的にも参ってしまってた時期でもあり


リアルに子供を殺して自分も死のうとしたことが
ありましたチーン

私のエゴだけで、本人は每日ニコニコで
楽しく過ごしているのに

勝手に生きていても将来楽しいことなんてない!結婚も仕事も出来ない未来ならって
決めつけて

あたしは思いっきり寝てる息子の首を締めたことが
ありますショック
泣きながらごめんねと呟きながら

息子はもちろん苦しくて起きて大号泣!
あたしももちろん出来なくて
手を離しました

首に残った手の跡をみてあたしは
何をしてるんだろう?
何をしようとしたんだろう?と

りゅうがくんを抱きしめて謝りました


それくらい精神的に追い詰められていたんだと思います

これを書きながらその当時を思いっきり思い出してしまい泣きながら書いてますえーん

※この事を書くことは友達とかにも話したことないので、悩みましたが💦
殺人未遂だし賛美両論あるだろうと。
ですが綺麗事ではなくリアルを伝えたいので
書きましたが

本当に最低な母親でした。。。


このままじゃほんとにだめだと
他人とばかり比べてしまう、
他の子が羨ましくて妬ましくて
どんどん卑屈な最低なママになっていくと


あたしは自分のためにも療育園にいく
決心を下しました。


今日はここまでで☆

次回は療育園に入って親子ともども
ほんとに心が軽くなりストレスが
軽減されたお話と入れてよかったお話

療育園での葛藤をお話したいと思います





最後に和みの写真も笑
この当時はなんでも箱に入りたがる
りゅうがくんでした笑