「20仲介者は一方だけに属するものではありません。しかし約束を賜る神は唯一者です。21とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。」

律法が私達に与えるものは罪責感のみ。命を与えない。解放を与えない。
確かに一旦は落とされる。
霊的どん底を見せられる。(まあ、ありのままの自分ということですが。神様の愛から程遠い自分。いや、それどころか、神様の愛を憎んでさえいる自分を知ると言うこと)
しかし、そこから、ひたすらイエス様の十字架を仰ぎみる。イエス様の恵みにひたすら期待する。
すると、心晴れ晴れ、スカッとします。
つまり、私達は「命」を得るのです。