絵画サークル 凛 in 芦屋川の桜
関西では有名な桜の名所、芦屋川の桜を描きました。
桜は満開でみごとでした。
よかったら、みなさんの作品を見て下さい。
http://homepage2.nifty.com/kaigalin/2010.04.04.html
■みなさんの作品の履歴
http://homepage2.nifty.com/kaigalin/action.html
■ギャラリー
http://homepage2.nifty.com/kaigalin/gallery.html
■Nicoさんのブログ「スケッチで会いましょう」
ぼちぼち劇場「ニューヨーク支店に転勤の巻」
ミント先生とそのリンがテレビを見ていると電話がなった。
そのリンが子機をとるとコケルだった。
そのリン「はい、…ちょっとお待ち下さい」
そのリンは子機を床に置いた。
そのリン「ミント先生、コケル君から電話よ。ニューヨーク支店に転勤になるんやて」
そのリンは、エイプリルフールなので嘘をついた(^_^)v
ミント先生は、驚いて子機の前で
ミント先生「ニューヨークって本当か?」
コケル「今から、楽しみです」
ミント先生「長いんか」
コケル「長い方だと思います」
ミント先生「そうか、きばりや」
ミント先生の顔が曇った。
ミント先生「そのリン、コケルな、もうすぐ出発やて。お別れを言ってやって」
そのリンの心臓は、バクバク鳴った( ̄□ ̄;)!!
そのリン「ミント先生から、ニューヨーク支店に転勤になると聞きました。寂しくなるけど、がんばって下さい(>_<。)」
コケル「ニューヨーク支店? 転勤? 僕達の会社にそんな支店ないでしょう」
そのリン「えー。そう言われば、そやね」
ニューヨークと、入浴。
自分が言ったウソに、翻弄されたそのリンであった。
そのリンが子機をとるとコケルだった。
そのリン「はい、…ちょっとお待ち下さい」
そのリンは子機を床に置いた。
そのリン「ミント先生、コケル君から電話よ。ニューヨーク支店に転勤になるんやて」
そのリンは、エイプリルフールなので嘘をついた(^_^)v
ミント先生は、驚いて子機の前で
ミント先生「ニューヨークって本当か?」
コケル「今から、楽しみです」
ミント先生「長いんか」
コケル「長い方だと思います」
ミント先生「そうか、きばりや」
ミント先生の顔が曇った。
ミント先生「そのリン、コケルな、もうすぐ出発やて。お別れを言ってやって」
そのリンの心臓は、バクバク鳴った( ̄□ ̄;)!!
そのリン「ミント先生から、ニューヨーク支店に転勤になると聞きました。寂しくなるけど、がんばって下さい(>_<。)」
コケル「ニューヨーク支店? 転勤? 僕達の会社にそんな支店ないでしょう」
そのリン「えー。そう言われば、そやね」
ニューヨークと、入浴。
自分が言ったウソに、翻弄されたそのリンであった。
万博の贈り物
1970年に、私の住んでいる吹田市に、万博があった事をご存じですか。
昨日のテレビで、その当時の技術が、現在も役にたったと知りました。
まず、携帯電話。
お客様に無料で使ってもらうと、ほとんどの人が親指でブッシュボタンを押し、通話ボタンを押してダイアルする形式なのに、逆の操作をする人多かったそうです。現在の携帯電話の基礎データになってます。
そして、プレーンヨーグルト。その当時は、甘いものばかりで、本番のヨーグルト菌をもちこむ事は法律で禁止されてました。
ブルガリア館で、ヨーグルトの試食があり、ブルガリア館にヨーグルトをわけてもらい、ブルガリアヨーグルトが生まれました。
それと、テント屋根。
今はドーム球場で当たり前ですが、当時は始めての技術で、日本の企業が、巨大な図面を手作業で作成して完成させました。
難しい建物も、最新技術も、みな、職人気質で作ったのでしょう。
まだまだ、たくさんありますが、面白いのは、万博開始の男性のファッションは、スーツ姿で、それしかなかったのですが、終わる頃には、カジュアルウエアになっていたそうです。
岡本太郎の「太陽の搭」など、万博の残してくれた遺産はたくさんあります。
1ヶ月後の、上海万博にも、日本のテント屋根の技術が使われています。上海万博が、素晴らしいものになる事を期待してます。
こぶしの花
昨日のテレビで、その当時の技術が、現在も役にたったと知りました。
まず、携帯電話。
お客様に無料で使ってもらうと、ほとんどの人が親指でブッシュボタンを押し、通話ボタンを押してダイアルする形式なのに、逆の操作をする人多かったそうです。現在の携帯電話の基礎データになってます。
そして、プレーンヨーグルト。その当時は、甘いものばかりで、本番のヨーグルト菌をもちこむ事は法律で禁止されてました。
ブルガリア館で、ヨーグルトの試食があり、ブルガリア館にヨーグルトをわけてもらい、ブルガリアヨーグルトが生まれました。
それと、テント屋根。
今はドーム球場で当たり前ですが、当時は始めての技術で、日本の企業が、巨大な図面を手作業で作成して完成させました。
難しい建物も、最新技術も、みな、職人気質で作ったのでしょう。
まだまだ、たくさんありますが、面白いのは、万博開始の男性のファッションは、スーツ姿で、それしかなかったのですが、終わる頃には、カジュアルウエアになっていたそうです。
岡本太郎の「太陽の搭」など、万博の残してくれた遺産はたくさんあります。
1ヶ月後の、上海万博にも、日本のテント屋根の技術が使われています。上海万博が、素晴らしいものになる事を期待してます。
こぶしの花



