お久しぶりです。
テレビでは清原和博元野球選手の覚せい剤使用判決
のニュースと舛添都知事の公私混同のお金や時間の
使い方に非難がにぎわっている。
そして、私自身は身の回りを整理しきれないまま
新しい職場で6か月目に突入しました。
自分の身に起きることは、だれかのせいではなく
自分自身を映し出す鏡だと言われます。
だれかの発言に自分の価値観が反応して不快感を
持つとすれば、それは相手の発言そのものに問題
があるかもしれないが、自分がそれを極端に気にして
しまっているという状況が一つの事実だということです。
そうは言っても、自分の価値観を世間の人に置き換えて
自分を正当化してしまうのも事実。
私の場合、被害者意識に反応し、いじめ発言には
強く反発してしまうのです。
軽はずみにからかうような言葉の暴力は許せない
と思ってしまいます。
しかし、子供の頃の自分は罪のない同級生の男子に
いやなあだ名をつけてからかっていたことが
あります。
その時の自分は罪の意識はまったくありませんでした。
男の子なんだから、これしきのことで傷つきはしない
だろうと勝手に思っていました。
今、大人になって自分が会社で若い同僚から
年寄扱いされたり、ボケ扱いされてからかわれる
のは因果応報なのかもしれない。
10歳の娘と取っ組み合いのけんかをして、
自分の感情を収めることが難しかったりします。
許すということ、自分の感情を処理すること、
こどものわがままを客観的に見ること、
まだまだ、自分との闘いに負けてしまっていることが
多いようです。
私の日々の挑戦はあまりにも短絡的で浅いのか、、。
今、目の前に起きていることの真理を探り、
深いところの意味を考えることが必要なのか、、。
深いのか、浅いのか?
よどんだ水は中に入らなければその深さはわからない。
人間関係、家族関係では理解しあい信頼しあえるように
なるには、深い愛と忍耐力が必要です。
近い関係であるほど、ついなれ合いで思いやりに欠ける
発言や行動になりがちかもしれません。
年を重ねてきたことを誇りに思えるような人生でありたい。
肉体は老化しても輝いていられる深みを持ちたい。
苦労を重みにするのではなく、軽やかに、とらわれず、
楽しんで生きたいと思う。
白黒つけるのは難しいのかもしれない。
深いのか?浅いのか?
日々迷いながらも進んでいくしかないのでしょう。
「起こることはすべて最高」を呪文にして。
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人はだれでも輝ける!