がん治療医で腫瘍内科医の押川 勝太郎先生と、
メディカルスタッフ向けのがん教育プロジェクトを立ち上げました👨🏼‍⚕️👩‍⚕️

専門書には載らない、最新のがん治療の実際や、困っている患者さんの対応をここで学ぼう❗️→がんここ、です😄

 

半年前、押川先生からお申し出があり、
新しいプロジェクトを立ち上げる準備を始めました。

テーマを決めるにあたり、50人近い起業家、経営者、VIPの方々にヒアリング👂
まずは世の中のニーズ把握ですね、これ大切です📝

「そもそもさ、健康な人たちって、がんのことなんて知りたくないよ」とか、
「ビジネスモデルをチェックしてあげるから作ったら持ってきなさい」とか、
さすが❗️なアドバイスをたくさんいただきました😄

その中で、日々がん患者に接する薬剤師さん💊から、


「つらいがん治療をしている患者さんにもっと声を掛けてあげたい。
もっとお役に立ちたい。

でも過重労働で時間も気力もない😖」
という悩みを聞かされました。

押川先生も、ハゲしく納得👨🏼‍⚕️


がんに関する新薬がどんどん出てくると、薬剤師を含めた医療者は対応に追われる。

そして、目の前にいる患者さんが困っている状況に対応できなくなる。

そんなジレンマを少しでも改善して、
メディカルスタッフのQOLを上げるお手伝いをしよう、
それがひいてはがん患者のQOLが上がることにもつながる、
そう考えました。

 

わたしが最も信頼する薬剤師で、

薬学部助教のN先生を引っ張り込み、
外資系コンサル企業でバリバリ働いてきたがん友も交え👩🏻
押川先生とディスカッションを重ねながら、とうとう昨日公開。

ロゴデザインは、
腺様嚢胞がん(せんようのうほうがん、ACC)の患者さんで、
積極的な患者支援活動をしてこられた「TEAM ACC」リーダーのハマさんが制作してくださいました。

押川先生とわたし、うちの黒ねこピー助もいます😸
ハマさんには、キャッチコピーの相談をしながら人生相談までしてしまった😆

 

第1弾として、

5・6月のがんここは薬剤師さん対象の実践的勉強会(全4回)を致します。

なんと❗️昨日、初告知をしたらもうたくさんのお申し込みをいただいています😃

 

押川先生にしかできない、チョー実践的で楽しい内容に加えて、わたしもミニレクチャーを担当します😆🤜

 

御用とお急ぎでない方は、こちらもどうぞ↓

 

課題図書を読んで書いたリブリオエッセイ、月間賞をいただきました。

 

挑戦5回目にして初受賞。

両親のことにも触れたので、とりわけ嬉しいです。

なんというか、オトナになってから褒められるって嬉しいものですなぁ。

 

これ、出版エージェントで辣腕編集者の城村典子さん主催の文章サロン「ふみサロ」での話です(※1)

 

……

『モノより思い出』 

 

「子供と一緒に飛び発とう! 親子留学のすすめ」(※2)を読んで、

『モノより思い出』という数十年前の車のCMを思い出していた。

 

親が、子どもを新車に乗せて、海に山に連れ出す。

「子どもとの思い出を作ろう」というもので、仕事に忙しい親世代には刺さったキャッチだった。

(日産自動車「セレナ」CM画像) 

 

自分を振り返ってみると、

親から買ってもらったモノで手元に残しているのは数点しかない。

 

断捨離で、何もかも、それこそ旅館に嫁ぐ時に持たせてくれた「たんす」2竿の着物も、買い取り業者にすべて売っぱらった。

 

残ったのはカラになった たんすだけ。

 

今の自分に、不要なモノと必要なモノを見極めていると、

自分自身の価値観がだんだんと浮き彫りになってくるから、

断捨離はたんすの中も心の中もスリムにしてくれる。

 

いっぽう、親との思い出は 心のたんすの中に残ったままだ。

それはいつでも幸せに満ちた気持ちを引き出してくれる。

 

特に旅先の思い出は、風景のワンシーンの中に元気な両親がいて、

泳いだりはしゃいだりしていて、まったく色褪せない。

 

モノは断捨離できるけど、

思い出は断捨離できない。

 

新聞の読者投稿を読んでいると、お母さんやお父さんとの思い出をくっきりと書いている方が多い。

 

86歳の作者が、

死別したお母さんの面影を追い求めている自分を書いた作品を読んだ時には、

いくつになっても心の中には元気な頃の「母」が生き続けていることに気付かされた。

 

私もあともう少し、母と新しい思い出を作ろう、そんなふうに思う。

 

 

(※1)城村典子さん主催「ふみサロ」:30年にわたり著者1,000人の本を世に出した元角川出版ビジネス書部門編集長、辣腕編集者の城村さんが塾長を務める、文章の書き方サロン。

 

(※2) 課題図書「子供と一緒に飛び発とう! 親子留学のすすめ」添田衣織著(みらいパブリッシング https://www.amazon.co.jp/dp/4434273884/

今回は、がん老介護から離れます。

 

特攻財団から執筆依頼を受け、思い切って告白しました。

 

祖父が連合艦隊司令長官として特攻作戦に関わっていたこと。

靖國神社の花嫁人形の前でおきた不思議なこと。

「昭和の参謀」と呼ばれた瀬島龍三さんの前でおいおい泣いたこと。

 

数日間で、この記事への反響が多方面から寄せられ、とても驚いています。

 

特攻隊を知らない皆さまにも、ぜひお読みいただけますと有難く存じます。

 

『告白  大穂 その井』

 

この原稿を書くにあたり、自分の中で強い葛藤があった。

それは、自分自身が「特攻」と向き合う勇気をいまだに持てていないということの表れだった。

おとなになっても、まだ気持ちはあの場所にある。

そしてそれには祖父が大きく関与している。

 

私は幼少の頃から、祖母や両親に連れられて特攻隊戦没者のご慰霊に上がり、たくさんの方々にお目にかかった。

そして数年前、80代になった母の代わりにこの財団の理事となった。

 

そんな私が、実は特攻と向き合えないままでいることを公表するのは果たして良いのか、逡巡しつつもここに初めて告白する。

 

あの日のできごとは鮮明に覚えている。

 

まだ小さかった私が、父に手を引かれて靖國神社に参拝に上がった時、宮司さんが「よくいらしたね」と申され、その場所にとおされた。

 

入った瞬間、光に目がくらんだことを今でもよく覚えている。

部屋の中には花嫁人形がたくさん飾られていた。

 

日本髪を結い上げた美しい人形たちは、豪華な花嫁衣裳や純白の白無垢を着て、ずらりと、静かに並んでいた。

 

父が「これは死んでしまった若い兵隊さんたちのお嫁さんだよ」と言い、

私はその意味がわからないまま、黙って人形を見て回った。

 

いつも遊んでいるビニールでできたリカちゃん人形とはあきらかに違うが、

また、床の間に飾ってあるたおやかな博多人形とも違う。 

 

まるで「人」みたい、「生きているみたい」そう思った。

 

靖國神社の花嫁人形(※1)

 

それから数年後、靖國に上がった時に、

私から「あのきれいな花嫁人形を見たい」と申し出て、部屋にとおしていただいた。

 

美しい花嫁たちが変わらずそこに立っているのを見て、私は嬉しくなり「また来ました」と挨拶をした。

 

父が「こちらにおいで」と言い、

壁に飾られた特攻隊員の写真を指差した。

 

「あの兵隊さんたちはお嫁さんをもらわないで死んでしまったから、兵隊さんのお母さんがお人形さんを天国に送ったんだよ」と言い 

「兵隊さんの写真をよく見てごらん」と私を促した。 

 

まだ少年の顔をした兵隊さんたちは、花嫁人形と向き合うように壁に並んでいた。

 

すると、視界が急に乱れて、目の前にこんな映像が見えた。

 

短髪の青年の横に、髪をゆるくカールした綺麗な女性が寄り添っていてふたりとも私を見て笑っていた。

目線が同じ位置だったので、子どもだった私の目線まで下りて現れてくれたのだと思う。

 

驚いて父にそれを告げると

「そうか。それは良かった」と笑ってくれた。

 

花嫁人形には「明子さん」などとそれぞれに名前が付けられていて、

「〇雄へ 母より」と書いた短冊が添えられていた。

 

中でも一番大きなガラスケースに入った美貌の花嫁人形には、

「弟へ メイ牛山」と書かれた大きな札が付いていた。

こども心に

「なんで牛なのにメイ?ヤギなんだろう」と不思議に思った。

 

十年後、ハリウッド化粧品の創業者であるメイ牛山さんにお目にかかった時、このことをお伝えしたら

「そう!見てくれたのね!」と私の手を握り

「私はね、弟の分まで生きているのよ。だからほら見て、元気でしょう?」と申された。

 

私は話すことを迷ったが、でも思い切って、あの靖國の部屋で目の前に現れた若夫婦のことをメイさんにお伝えした。

するとはらはらとお泣きになって

「お嬢ちゃん、ありがとう」と申され、私をそっと抱きしめて下さった。

 

成長して、私の祖父が最後の連合艦隊司令長官だったことを知った。

 

祖父は私が3歳の時に亡くなったが、そのあとも自宅には陸軍海軍を問わず、たくさんの方が訪問くださり、祖母や両親と交流していた。 

 

祖父は尊敬する立派な軍人さん、そう思っていた。

 

祖父 小澤治三郎

 

山下奉文陸軍大将と祖父(※2)

 

そのうち、祖父が特攻隊に出撃命令を出していたことを知った。

終戦前の激戦の時、たくさんの特攻隊員が亡くなられた時に、だ。

 

私はあの花嫁人形たちを想った。

 

娘である母は、40年近く中学校の教員をしていたが、自分の父のことは語らず、黙っていた。

祖父の葬儀の日に、事実を知った母の教員仲間が「仰天した」とあとで話してくれた。

 

私がおとなになるにつれ、母は「ご遺族のお気持ちを考えて、戦争に関する発言は控えなさい」と何度も言った。

 

私は、母に言い含められたこともあり、

祖父のことも連合艦隊のことも、戦争のことにも触れないように気を付けながら生きていた。

 

30代で私がベンチャー会社を起業し、考案した技術がニュース報道されると、

連合艦隊で祖父の参謀をして下さっていた瀬島龍三さんが

「私が君のビジネスの後見人、参謀になるよ」とおっしゃり、取締役になり株主にもなって下さった。(※3)

 

瀬島さんは「小澤長官のことについて君は知らなさ過ぎるな。もっと勉強をしなさい」と申され、

私はそれから瀬島さんに祖父の話を少しずつ聞くことになる。

 

ある日、瀬島事務所に上がると

「私が会長をしている特攻協会で出した本だよ」と瀬島さんから「特攻隊遺詠集」を手渡された。(※4)

 

ページをめくり、初めに目にした辞世の歌は

『 十億万人に十億の母はあれど 我が母に(まさ)る母あらめやも 』 だった。

 

それは19歳の少年が詠み、昭和20年6月25日に散華されていた。

 

祖父が出撃に関わっていた日付だ。

 

私は瀬島さんの前でおんおん泣き「涙を拭きなさい」とハンカチを渡された。

 

本には、家族を想う20歳の隊員の歌

『泣くな、嘆くな、必ず還る 桐の小箱に錦つけ会いに来てくれ九段坂』

 

24才の息子を亡くしたお母さまの歌

『 散る花のいさぎよきをばめでつつも 母のこころはかなしかりけり 』

も載っていた。

 

あの花嫁人形たちにこめられた想いがそこにあった。

 

私はこの寄稿をするにあたり、あの花嫁人形たちが今どうしているのかを靖國神社に尋ねた。

遊就館に飾ってある数体を除いて、すべて倉庫に保管しているとの答えに、息が詰まりそうになっている。

「遺族がお参りに来る時に見せていたけれど、もうその機会が減った」のが理由であったが、

暗い部屋にひっそりとたたずむ花嫁たちを想うと心が苦しい。

 

できれば、昔のように明るいあの場所、たくさんの方々にその姿を見せて欲しい。

あの花嫁人形を見れば、たとえ子どもであろうとも強く記憶に残る。

 

それが特攻隊に想いをはせ、ご供養になると思うのだがいかがだろうか。

 

今を生きている私にできることは何か。

 

特攻で亡くなられた方々や、あの花嫁人形にこめられたご家族の想いに寄り添い、哀しい心をお慰めするにはどうしたらよいのか。

 

いくら考えても答えは出ず、私はまだ泣くことしかできないままでいる。

 

祖父母と筆者。

祖父はこの年の立冬に亡くなった。(※5)

 

(※1)花嫁人形の画像は、2012年2月号「WiLL」に故三宅久之氏が「英霊の花嫁」と題し寄稿されていたのでそこからお借りした。発行:ワック(株)

 

(※2)山下奉文陸軍大将を訪問した祖父。当時は南遣艦隊司令長官だった。シンガポールにて。昭和17年2月27日

 

(※3) 瀬島龍三氏

陸軍中佐、陸士44期、連合艦隊参謀。戦後は伊藤忠商事会長、NTT相談役、中曽根政権顧問などの要職を歴任され「昭和の参謀」と称された。平成4年 当財団の会長に就任。平成19年9月ご逝去。

 

(※4)「特攻隊遺詠集」(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会編 1999年PHP研究所

 

(※5)「果断、寡黙にして情あり-最後の連合艦隊司令長官小澤治三郎の生涯」宮野澄著 1994年祥伝社

 

※ 掲載した遺詠

『十億万人に十億の母はあれど 我が母(まさ)る母あらめやも』

海軍2飛曹 高口一雄命 享年19歳 昭和20年6月25日歿

海軍乙種特別飛行予科練習生4期(乙特飛4期)琴平水心隊

零式観測機に搭乗 指宿基地発進 沖縄周辺艦船にて戦死 富山県出身

 

『泣くな、嘆くな、必ず還る 桐の小箱に錦つけ会いに来てくれ九段坂』

陸軍伍長 庄地畑道義命 享年21歳 昭和20年1月9日歿

陸軍特別幹部候補生1期(特幹1期)第12戦隊 海上特攻

フィリピン島リンガエン湾にて戦死 徳島県出身

 

『 散る花のいさぎよきをばめでつつも 母のこころはかなしかりけり 』

海軍中尉 緒方襄命のご母堂様

享年24歳 昭和20年3月21日歿

関西大学予備学生13期 第1神雷桜花隊 桜花に搭乗 鹿屋基地発進 鹿屋160度360浬の敵機動部隊に突撃し戦死 熊本県出身

 

会報「特攻」令和3年2月号

発行;公益財団法人特攻隊戦没者慰霊顕彰会

 

親しい友人から「がんが再発した」と連絡があった。

 

「一緒に長生きしようね」と伝えた🌹

 

彼の治療が奏功するように、

コロナに感染しないように、

心から祈ります🍀

 

心は共にあるからね😊🤜

 

身長が190cmもある東洋医学科のドクター👨‍⚕️に、

「がんが身体の中から消えたイメージを持つといいよ」

とアドバイスをもらった。

 

どこかにイメージしやすい画像はないか、と探し回っていたら、あった、あった。

これ、ピッタリ❗️

 

Newtonの、この画像(※1)

これ、リアルな電子顕微鏡の写真、だからホンモノ😮

 

 

右上の大きなヤツが「断末魔をあげるがん細胞」

このあと、どんどん風船みたいに膨らんで🎈破裂して死ぬんだって❗️

 

左下の、小さなイモ虫🐛がくっ付いている細胞がわたしたちを助けてくれる「リンパ球」

 

このリンパ球が、がん細胞に、たくさんの手を伸ばして「死ぬ」エネルギーを送り込む

これがアポトーシス(細胞死)のメカニズムなんですと😮

 

まさにその瞬間を撮影できたなんて、Newtonはさすがでございます。

 

でも、もっと簡単にがん細胞が消えるイメージを持てるようにと、

ウルトラマンにがん細胞(風船🎈)を割っていただきました❗️

 

がん細胞が

パーンと破裂→消えた❗️

 

うほほ😆イメージしやすくなった❗️

 

ウルトラマン❗️とーっっ🤜

パーン❗️消えたっ❗️

 

これ、声に出してます😆

言霊(ことだま)のチカラも借りる。

 

こういうイメージの刷り込みって、大切です。

 

 (出典科学雑誌Newton 2017年8月号発行元;(株)ニュートンプレス

ブログをコンスタントに書くのって大変😔

ついついあと回しにしてしまう。

 

書かなかった数か月の間に、事件があった。

 

あ、仕事のことです。

88才の母は、介護の方々にサポートしてもらいながら変わりなく過ごしています🧓🏻

 

そう、ビジネスコンサルをさせていただいている法人のお客様が、大きく2極化した。

これが事件。

 

インバウンド関連の会社は、売上が激減し、廃業した。

 

コロナ用の商品を開発したメーカーは、その商品1つだけで、6カ月間の売上が1億円を超えた🏵

 

完全に明暗がわかれた。

 

売上激減の社長は、

「どうにか粘る、死んでもいいから乗り切る」と言って、政策金融公庫の融資を受けようとしたんだけど、

わたしが全力で説得して廃業→清算の決断をしてもらった😔

 

説得のことばはこれ。

「ここで粘ったら倒産して社長の息の根が止まります。また浮上するためにも、今、清算しましょう」

 

「今、清算すれば、またやり直すチャンスが必ずきます」

 

「将来のために、今は清算しましょう」

全力で言いました。

 

わたしは、1社目に起業したITベンチャーを清算した過去を持つ😖

 

すでに会社が「死に体」になっているのに、

「まだやる❗️やらないと株主や社員に迷惑をかける」と言って、

それでヨレヨレのまま踏ん張っていたら、事件が起きて、完全に息の根が止まった。

 

副社長が逮捕され、ベンチャーキャピタルから告訴された。

 

毎日ひどいストレスで、身体がチリチリと痛み、いつも呼吸が苦しかった。

その後、がんを発病した。

 

だから、まだ会社に息があるうちに清算しないと、社長の息の根が止まってしまうんですよ。

 

ご存じない方が多いんだけど、会社を閉じるには結構なお金がかかります。

だから、資金が手元にあるうちに清算手続きをしないといけない。

これをやらないまま、資金が底をつくといろんな人が追っかけてきます。

追われて、逃げなきゃいけなくなる。

 

国税庁も、労働基準監督署も追ってきます🏢

消費税と未払い賃金の取り立てですね。

 

特に消費税は、売上じゃなくて預り金。

お客様から預かったお金を国に納めないままでいるのは、泥棒と同じ。

犯罪行為とみなして取り立てに来る。

国税庁の捜査員が社長の自宅に来て、お風呂場や冷蔵庫の中までチェックします。

換金できるものを隠してないか❓と。

換金できるものは差し押さえる。

強制捜査です🕵🏻‍♂️

 

そんな苦痛を受けないためには、

 

事業をやりながら、常に最悪のケースを考えておくこと🍂

大成功の夢を見るのは良し🌸

でも最悪のケースを考えるクセを付けておくこと🍂

 

そう、これって私が、

がん治療と親の介護をしながら、最悪の状況を考えて、こっそりお葬式の準備をしたのと同じなんですね😅

 

あらかじめ、

最悪の状況を考え不安を取り除いていくことで人間の実行力は大幅に強化される

はい、脳科学者・茂木健一郎さんの解説(*1)です。

 

 

これは、個人でも法人でも同じです。

だから、経営者も

最悪の状況を思い描ける人が、最強の経営者です。

 

そうすれば、将来、また新しく始められる。

 

リボーン(rehorn)、復活できる🌱

 

ゾンビ🧟‍♀️のように生き返るために、

ぜひ、前向きにも後ろ向きにもなれる経営者になりましょうぞ😄

 

(*1)茂木健一郎さん著