今日で、あれから一年ですね。
誰もが想像しなかった未曾有の大震災で、お亡くなりになられました数多くの方々に
心よりお悔やみを申し上げます。
あの日私は、卒園児を担任していたのですが、卒園に関する準備も早々に仕上げて
いたので、、週末のお休みをいただいて、東京での 美術館や博物館めぐりを予定していました。
午前11時15分着の飛行機で羽田空港へ到着しました。
年に数回、東京へは遊びに来ているのですが、いつもと変わりない空からの風景を機内から
眺めながら降り立ちました。
そして、ホテルへスーツケースを預けた後、午後1時に恵比寿にある「畠山記念館」で
友達と待ち合わせをしました。
歴史ある古い建物の中の数々の展示作品に堪能をした後、次の目的地である山種美術館に
向かうために JR山手線の目黒駅のホームから電車に乗り、ドアが閉まった直後でした。
ガタリ!と揺れたかと思うと、電車がゆさゆさと揺れ始めました。
「地震だ!」と乗客の誰もが反応していました。
「それにしては、揺れが長いよね。」と友達とそんな会話をしながら
揺れが弱くなったかと思うと、また大きくガタリ!そういう揺れ方が3度ありました。
「何か不自然な揺れ方…。」思わずそう感じました。
「普通は、がたがたがたと小さな振動があって、段々と大きくなり、また揺れが小さくなるよね。」
東京の友達にそう告げた事を記憶しています。
数年前に、震度5弱の大きな揺れを地元で体験した時がそうでした。
3分以上の揺れでした。
ようやく構内アナウンスが流れ、電車のホームに出されました。
その後は、復旧の見通しが立たないために、駅に併設をしているアトレでしばらく過ごしました。
駅構内のシャッターも早々に降ろされ、アトレ内のお店も閉まり始めました。
そのあとは、店からは出ましたが、通路に座っていたところ、紙コップでのコーヒーの
サービスがありました。
4時過ぎになり、心配した家族や職場の同僚・知人から次々と携帯に電話が入ってきました。
そこで、仙台や三陸地方で、大津波が発生しているという情報を初めて知りました。
JR目黒駅前の都内バスが動き始めたのは夕方の6時前です。
もう、長蛇の列です。
午後6時半過ぎにやっとバスに乗ることが出来ました。
東京タワー近くの大門のホテルへ宿泊をしていたこともあり、とりあえず、新橋行のバスに乗り込みました。
そのころは、まだ車もノロノロ運転ながら、どうにか走っていました。
でも、歩道には早くも帰宅難民があふれていました。
大門のホテルならば、東京タワー近くの御成門で降りれば、そこからは
どうにか歩けるだろうと…。
ホテルに夜の7時過ぎには到着をしました。
ホテルの入り口には「本日は満室となりました」という張り紙が・・・。
ロビーには宿泊できなかった人達であふれていました。
すぐに近くのコンビニへと夕食のお弁当を買いに走りました。
でも、棚はほとんど空っぽ…。
あるといえば、春雨のスープと数種類のお菓子のみ、とりあえず腹の足しになるものをと
購入した後、お店の方に「次のお弁当はいつ入荷をしますか?」の情報を仕入れ、
ホテルの部屋へ戻りました。
部屋が10階だったこともあり、余震での揺れも大きかったです。
携帯には「緊急地震速報」のメールが何度か入ってきたため、朝方まで眠れませんでした。
もう、テレビの画面に釘付けでした。
これ以上、被害が広がらないで…と涙を流しながら、願うばかりでした。
昨年は、私自身、旅行地の東京で震災に遭遇し、
夏頃からの体調不良のために 子宮全摘出の手術を
受ける決断までしました。
大きな体験をしたとはいえ、今年の2月に手術をして、
こうして命をつないでいます。
私にとっても、忘れえることのできない記憶になると思います…。
「一陽来復」そう願うばかりです。