↑ふくが歌舞伎座で買ったというカレンダーと、おとんが育てた綿の花。
あったかい日だった。
代休で家にいるおとんが、巨大化したユッカを株分けしてて、そのすぐそばで、わんこの「ぼく」がはたはたとしっぽを振っておった。
ずーっとさ、風がふくところで暮らしてけたらいいな。この町は県内でも有数の強風地帯なもんで、どこの土地に行っても風さえ吹けばわたしはけっこう落ち着く。
おんなじ土地の空気吸って、おんなじ釜の飯たべて育っても、ひとりひとりちがうのが姉妹というもんで。
今日はふたりの妹らにそれぞれ感情的にぶつかってこられて、ねえちゃんもうふらふらよ。本音をずどーんとまとめてぶつけられんのも、体力消耗するわな。
わたしは自分のことを家族や友人に、ぜんぶまるごと頭からしっぽの先まで話してるわけではない。嘘とちがう。聞かれないから言わないだけだ。
うそつくとさ、あとで苦労すんの自分でしょ。だれのためにでもなく、たんに自分がしんどい思いしたくないってそれだけ。
どこでなにしても、だれかが見てる気しませんか。
わたしは霊感ないけどさ、うどんのことを「ぺろちゃん」と呼んでた、死んだじいさまのことを、最近よく思い出すわけ。
じいちゃんは腹にできものみつかって入院してた。家での療養に切り替わってから数日後、大判焼きをたべたあと廊下で倒れ、救急車で病院に逆戻り。そのまた数日後に意識を取り戻さないまま亡くなった。
言葉が多いひとではなくて、ひとといるより動物といっしょのほうが楽ちんそうに見えた。そんなじいちゃんに、けものたちはよくなついておった。
わんこに残飯食わせたり、埋葬するつもりだったハムスターを棺桶がわりのざるごと、橋の上から川に放り投げてしまう無頓着なところもあった。
カブでどこまでも吹っ飛んで歩き、交通事故も数回遭っている。どうも似たくはなかった資質を、わたしはこの血の中に受け継いでしまったらしい。
わんこやにゃんこを撫でる手つきや、焼酎(大五郎)を牛乳で割ったのを、くるくるかましたお箸をぺろんとなめる仕草をよく思い出す。
そして3年半がすぎてもまだ、いなくなった気がしない。
だからわたしは泣いてすらいない。おかげであの当時、家族親戚一同から口々に薄情だと嘆かれた。
たしかにお葬式で妹が、涙ながらにおわかれの言葉を読み上げるなか、必死で笑いをこらえてたのはたしかにわたしひとりだったろう。
笑ってはいかんと思えば思うほど、じいちゃんのおもしろい記憶ばっかり噴出するんだもん。ありゃしょうがなかったんだよ、不可抗力だ。
でも、ひとと離れ離れになるのって、かならず悲しまなくてはならんものか?
わらっちゃいかんかね、とてもそうとは思えない。
わたしならさ死んだあと好き勝手に徘徊してそこらを回れるのなら、うるうる涙に暮れてるひとよりも、おばかエピソードを思い出してぶひぶひ笑ってくれるひとのところに出没したい。
いつもやかましいわんこ・ぼくが、やけにおとなしかった今日。
こんな陽気な日和には、じいちゃんのカブのエンジン音がなつかしいです。
けいじばん