↑とりこと夜ごはん。ライブにきたパフィーもだいすきだという『どんぶりめし』で有名な、はんだやという定食屋にて。白めしのサイズはミニ・小・中があって大は、てんこもりすぎるので頼まないでくださいとあるんです。

わたしは日常生活において、めったに泣けない。

でも時たま、むしょーうに泣きたくなるときがある。だから「こないだすっごい泣いてさー」という友人に、泣くこつを伝授してくれと頼むのだけれど、なかなか要領をえない答えしか返ってこない。

物語や、ニュースをみてじわじわつつつーってのは、ある。
でも離れたくないひとと離れなくちゃないとか、だれかに裏切られたような気分になったときですら、わたしはどうしても泣くことができない。

池内村のカエルさんのブログを見せていただいたら、「最近泣いていない」という、まさしくわたしそのものを表したようなタイトルが目に止まった。

わかります、心の底からわたしは共感させていただきました。以前高知の山の中、四万十川のほとりで生活していたときに、どうしてもどーうしても泣きたいのに泣けなくて、困ったことがあった。

あれって、便秘といっしょだよ。簡単に出る人には、その苦痛がわからない。流れる苦しみもあれば、流れないいたみもたしかにあるんだよ。

わたしはそのとき便秘薬ならぬ、自分限定・目玉と心を洗い流しましょうDVDを実家から送ってもらって、無事ながしてほーっと息をついた。

なんで限定かというと、かつてうちの家族はみんなして寄ってたかって、ぐじぐじ泣いてるわたしにむかって「なんでこれみて泣くのかわからない」と口々に言い放ったからだ。何度見ても流れるものはたしかに流れるのだから、ひとがどうこう言ったってこれはわたしの薬。

「この森で、天使はバスを降りた」という洋画なのだけれど、この邦題なんとかならんかったんだろうか。原題のとおり、作中に登場するカフェの名前「スピットファイア・グリル」でよかったような気もするんだよね。

地味な、淡々とした作品。
でも、この映画にはわたしのすきなものがたくさん詰まってる。

まっさらな風の色が見えるような場所で、夕日に染まりつつ、大事なひとのそばで歌うしあわせ。

沖縄の人たちが内に秘めてるような自分たちの土地への愛着を、わたしたち北国に住む者たちも抱くことができるなら、みちのくは古代から脈々と受け継がれてきたその根を、もっともっと力強く広げることができる。

そう思わずにはいられなくなる映画です。

杜海掲示板