なんて言っていいか、わからない。

自分の性格とコミュ力のなさが原因だと思うけど。亡くなったことに対して「運が悪かった。しょうがないと思うしかない」と言われ、なんて言っていいか、わからなかった。

思うのは自由。口から出すのは別なのでは?私は何を期待していたのか?親とはいえ、別の人間なんだよなぁ。そりゃそうだ。


親の立場として、あまりにも早く旅立った夫に対して怒りとか失望があるかもしれない。その気持ちもわからなくはない。

運が悪い。しょうがない。思うのは自由だよ。でも家族に言われるとダメージが大きい。これまでの事も含め、思うことがあるので自分の家族に夫の話をするのをやめることに決めた。(そもそもこれまでもそんなに話してない)


休みのたびに泣いているので、それもやめようと思う。悲しい寂しい不安、罪悪感。話ができなくてツラいと泣いていたけど、泣いていても何も変わらない。湧いてきた感情に蓋はしないで、うまくコントロールしたいな。


なんとなく「愛」がヒントだろうなって思っている。男女間の愛だけではなくて、もっと広い意味での「愛」。

愛を止めるから、癒されない。

その考え方に、なるほどなと思った。

愛は呼吸と同じなのかもしれない。

息を吸い続ける、吐き続ける。どちらか一方だけだと苦しくて無理。愛も同じで受け取り続ける、与え続ける。どちらか一方だけでは実は苦しい。受け取る、与えるの繰り返し。止めるとさらに苦しくなる。何を今さらな話かもしれない。(変な壺とか買わされてないので大丈夫です。ご心配なく)


○○○


今月に入り、お線香をあげている。

なんとなく避けていた。

現実を受け止めていなかったのもある。


亡くなった義母は

義父に自分が亡くなったあとも絵を描く趣味をやめないで欲しいと伝えていた。いまも描き続けている。他にもいくつか、ああした方がいいとか言っていたみたい。


私も夫に何かあるか聞いてみたけど。

「あなたには未来があるから、何もない」と言った。逆の立ち場でも同じ事を言うだろうな。それでも、生きる取っ掛かりみたいなものが欲しかったけど…それに囚われないで生きて欲しいって意味で「何もない」ってことだったのだろうな。


亡くなる数日前に

幻覚とかある?って冗談で聞いたら

「幻覚はないけど、ずっと見えないものを書いてきた」と言われた。

言葉と向き合ってきた時間。

物書きとしてこれまで歩いてきた道。すべてが詰まった言葉だった。やっぱり凄いなと思った。