最近になって罪悪感が出てきた。

と人生の先輩に話したら

「亡くなったのはたしかに事実だし。そばで見ていて、(夫の)好きなようにやらせてあげて、それを支えて、やり切ったと思う」と言ってくれた。その言葉に救われる。


ストレスがかかると、どちらかと言うと過眠になる。けど最近、寝るのに罪悪感がある。とはいえ、立ち仕事のおかげ(肉体的疲労)で眠れる。休みの日は寝るのがこわい。

何に対しての罪悪感なのかは、ぼんやりわかっている。もっといい医療を受けさせればよかった…とか、正直それはあまり思ってなくて。なんで早くがん検診しなかったのか…は少し思ってるけど。


もっと時間をかけて話したかったこと。

日々の小さなこと。

いくつかある罪悪感のなかでまあまあ大きい罪悪感のひとつは、無理やり書かせてしまったのではないか?ということ。

最後に書かれたネット上の記事を読むたびに物書きとして、本当にそれでよかったのか。(たぶん本人は最後になると思ってなかったと思うけど。下書きメモを読むと一区切りだったんだろうな)本人が考え、選択したことだけど、本当によかったのだろうか。


パートナーとして、

書かせてしまったのではないか。

と思うこともある。

夫から話してもわからないと思うから、その件については話さない。と言われたから、それ以上は話さなかったけど。話したところで、あと何年 時間が必要だったんだろうか。


いくら考えても、納得する答えはでない。

それでも考えてみて思うのは、事実や事象は乗り越えるものではない。

乗り越えないといけないのは

自分の心と凝り固まった思考なのか。と気づく。


本人の遺志があるから、

遺言書を書いたのも知ってる。

一緒に法務局に保管しに行った。おかげで誰とも揉めてない。その後の手続きもスムーズだった。これでよかったのかなぁ…はそれでも続く