死を3つの種類に分けて考えると
わかりやすい。
一人称の死、二人称の死、
それから三人称の死。
自分の死というのは、俺や私の死、
すなわち一人称の死。
これってよく考えてみると、自分にとってはないも同然で、だから考えたって意味のないもの。
死とは二人称の死。
自分の親しい人の死のこと。
養老先生の講演切り抜き動画を観ていて、その通り過ぎると思うのだけど。完全に肚落ちするのは、なかなかむずかしい。自分の親しい人の死に直面して、(自分が)変わるのは普通のこと。だとも言っていた。
終活もどうなの?とも。(自分の死について考えても意味がないのに)生前に葬儀についてアレコレ準備している方にさらりと疑問を投げかけていた。
それから、葬儀は遺された家族のためにするものと言っていた。それはわかる。
夫は無宗教だったので戒名もなし。
家族だけで見送った。
頼んだ葬儀会社には家族葬という名のものはなく、火葬プランという名称だった。いま考えてみてもなかなかインパクトのある名前。互助会に入ると安くなると勧誘されたけど、入会は断った。今から7年間なんたら費を毎月支払うなんて…無理。ちなみに互助会価格と一般価格の差はそこまで大きくなかった(記憶が少し曖昧)
葬儀会社の担当者さんには、すごく丁寧に手厚く色々と対応してもらい、感謝しかない。
自宅で看取ったのもあり、(たぶん地域柄だと思うけど)葬儀の日まで自宅に安置していた。
思い出があるものと好きだったものを一緒に棺に入れて、自宅から出棺した。沿道には近所の方が10数人ぐらい立っていて、出棺を見送ってくださり、皆さんの気持ちが嬉しかった。
参列した義父が
通夜も告別式もない超シンプルな式だったけど、今まで参列した葬儀のなかで一番いい式だったと言ってくれた。
信仰しているものがあってもなくても、形はどうあれ、葬儀は遺された家族のためにある。