誰にも見せない写真を

スマホの中に残しておいても意味ないなと思い、今年に入って日記のようなものを書いている。1枚の写真とともに。


夫との共通の趣味は「写真」だった。

そもそもの出会いも写真のオンラインコミュニティ(当時は掲示板だった)で、行きたい写真展が同じだったので一緒に行くことにした。

篠山紀信さんがブルータスで連載している「人間関係」の写真展。展示の仕方も変わっていて面白い写真展だったなー。

そのあと ごはんを食べながら、

なぜか死生観のはなしをした。


絶対リップサービスだと思うけど、写真の師匠は私だと何度か言ってくれた。図々しく?何回かアドバイスしたことはあるけど、なんでだろう。文章の心の師匠は山口瞳さんで、写真の師匠が私って。どう考えても、おかしい気がする。永遠の謎になってしまった。


夫のスマホの中に残された

私が写っている写真は、写真を撮っている姿が多かった。亡くなって、スマホを見たときは驚いた。

一番自然体なのかな?よくわからない。

私のスマホの中にも、夫が写真を撮る姿の写真が多い。正面からの写真はほぼない。だから遺影の写真がなくて、けっこう困った。

結局6年前の写真にした。


○○○


夏から くるりを聴いてない。

推し歴18年ぐらい。この前久しぶりにライブ映像でも見ようと思い、見始めて3曲ぐらいで号泣した。悲しくなるから無意識に避けているのかと気がついた。

車の中では、一緒に聞いたことがないアーティストの曲と最近リリースされた曲ばかり聴いている。

いつかまた聴ける日が来るのかなと思っていたら、夫がくるりについて書いた記事にいいね!がついた。


夫は自分がこの世界からいなくなるときに

聞きたい音楽として「くるり」を選んでいた。

改めてその記事を読むと、くるりの音楽が好きなのもわかるけど、これまで過ごした時間を大事にしていたことも伝わってきた。


探さないといけない物があって

夫の仕事机のまわりをひとつひとつ確認していると、自分の大切なものを身近に置いておきたいタイプだったんだなと感じた。

使わなくなったケータイ、時計、私がプレゼントとしたものたち、とあるイベントのうちわ、Nゲージなどなど。

家族写真は飾らないけど、

好きなものと大切な思い出を手の届くところに置いていた。そういう人だったんだなぁ。

旅立つときに、くるりを聴きたい。

なんとなく繋がる。