ニオイや味より、音の記憶が強い。

平日の昼間はだいたい洋楽最新チャートで、夜はいつもジャズ。毎週土曜の朝は、NHKラジオのピーター・バラカンさんの番組から始まって、週末の午後はラウンジ系かボサノバが多かった。すっかり習慣になってしまい、いまも家の中で1日中音楽を流してる。


懐かしい思い出。と思えるようになるまでの期間はハッキリ言ってツライ。

一緒にどこに行った。あれを一緒に食べた。去年の今頃は何してた。思い出を熟成させている期間とは到底思えない。とくにイベントが重なる年末年始はツラかった。死別した人でけっこうそういう人も多いらしい。年末年始に帰省しない派なので、結果ひとりで過ごしたけど、誰かと過ごしたいと思わなかったな。


新年になって昨年は悪い年だったのか考えてみたけど、わからない。夫が亡くなったことは出来事のひとつ。として考えている。

その出来事をいいとか悪いとかの評価だったりをしてしまうと思い出すたびにツラくなるような気がするし。今後悪い事は排除したり蓋するようになりそうな感じもする。


思い出を思い出すとき

比較するような思い出し方をやめようと思う。

あの時はああだったとか

この時はどうのこうので良かったとか。

比較してもなんの意味もない。


悲しみを乗り越えるとか、立ち直るとか、

そういうものではない。と遺された側になって、ようやくわかる部分もある。


○○○


ああ、またあの目だ。

夫が亡くなって。と言った途端に

相手の顔色が変わる。

マスクをしていてもよくわかる。

聞かれたから、ただ事実を答えただけなのに。もっとうまい言い方があるのかもしれないと思うけど…クッション言葉を重ねて、なんならありったけ枕言葉とかも用意して話さないとならないのか。


あの目で見られると

夫もきっと あの目をさんざん見てきたんだろうなと。ふと思った。

本人もネット上の記事に書いていたから、書くけど。

夫の母は、夫が小学生の頃、病気で亡くなった。たぶん亡くなる前も亡くなった後、さんざんあの目を見てきたんだろうな。