夫が車イスを使うようになって

介護と育児は

何が違うのか考えることがあった。


あくまでも個人の意見だけど。

まずは共通するところ。人によっては閉塞感を感じやすい。見えないゴール。当たり前すぎるのだけど十人十色の世界。ひとりひとり違う人間だからね。

介護は育児と違って、

できるようになる喜びはない。

出来なくなるものが増えていく。そのたび落胆。戸惑い。病気で介護が必要になった時は、老いとは違い、猛スピードで自分で出来なくなることが増える。

今朝は自力でトイレに行っていたのに、夜にはもう行けなくなることもあったな。そうなっていくと介護する側も、心のすり減るスピードが加速していく。考える余裕もなくなる。言葉もきつくなる。会話もなくなる(話したくなくなるというより、なんて言っていいか分からなくなる)。あくまでも個人の意見と感想。育児も心のすり減るスピードが加速するのもあるだろうなと、もちろん思ってる。


あと「育児した」と口にする人に出会わない。いや、言ったらアカンやつだけど。

介護してきた人は「介護した」ってはっきり言う人が多い。現実でも映画ドラマの世界でも。私は介護したのかなぁ…ちょっとだけしたかな。ガッツリ介護する前に見送ってしまったから。


○○○


治療は進化する。

その分家族の負担が減っているかは分からない。癌の種類にもよるだろうけど、化学療法は通院前提だし。放射線治療は、一定期間毎日通う。夫も骨転移した部分に緩和的治療として放射線治療もした。平日毎朝 10日間通った。自営業だから付き添うことができたけど。家族もね、大変だよね。


経験したからこそ、保険の見直しも出来たし。

あと検診、人間ドッグの重要性もわかる。

それで言うと、

問診票で何度も聞かれる「家族歴」。地味に重要なのでは?と感じた。


夫の弟さんにも、保険の見直しも大事だけど、自営業で健康診断もしていないのなら、とにかく一度人間ドッグに!と勧めたけど、たぶん行かないだろうなぁ…

お金があれば、もっといい治療が受けられるとか。そういう発想なんだろうなと話していて思った。お金があれば安心だったのか…といえば、それも違うんだよね。支える家族の時間とか、お金で解決できない部分のほうが多い気がするんだよね。


馬を水飲み場につれて行くことはできるが、飲ませることはできない。のと同じで、何度もしつこく検診か人間ドッグに!と言うことしかできない。行く・行かないは、その人の生き方だからね。「自分」を知るために一度は行ったらいいのに、と ほんと強く思う。