亡くなってからわりとすぐに

グリーフケアについて調べてみた。


ネット上の情報では概念と一般論しか書かれていなかった(探しきれてないだけかもしれない、あと私の読解力の問題か)。

ひとりひとりグリーフが違うので、入口しか書かれていないのは当たり前なんだけどね。

いくつかざっと読んでみて、

グリーフケアという名で「型」に当てはめようするのに、なんだか違和感を感じた。


わたしたちはひとりひとり違う人間で

悲しみかたが違う。

歩んできた人生、経験、環境。感じ方。

それぞれ違う。ものすごく当たり前のこと。

その大前提がなく、グリーフだけを取り出して考えることに違和感がある。


ひとりひとりの違いを知るところからじゃないのかな。違いを知り、それを受け止めるところからのスタートなのでは?

死別、離婚、失恋、ペットロスなど、それぞれが直面したグリーフを知るところからではない。

ケアする側も本人も、あなた(本人の場合は自分)という人間を知るところからがグリーフケアのスタート。

そう思うんだよね。


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見えない型に当てはめようとしてくるのは

夫が通院中にも感じた。

骨転移の痛みのコントロールもあって、通常の治療(大腸がんの抗がん剤治療)と合わせて緩和ケア外来に半年間通院した。


私も夫も2回目の診察であきらめた。

話ができないのだ。病院からの帰り道、同じ感想だった。


緩和ケアの先生は、患者の話を最後まで聞き、薬の処方も適切でいい医師だと思う。緩和ケア専門の看護師、ソーシャルワーカーとの連携。チームとして素晴らしかった。


ただ、診察では

話を聞き出そう、夫を知ろうとは一切しなかった。困ってることを聞く(たずねる)のは、話を聞くことではない。と思ってる対話型コミュニケーションを好む人間には合わなかったんだろうな。

限られた時間の中で、適切な診察をしなければならない側にとっては厄介なタイプだったはず。


これまでの実績経験に基づき

先生の頭の中に出来上がったフローチャートに沿って診察を進めていくように感じた。カウンセラーではないのは、よくわかるけど。それでも話を聞く姿勢があっても良さそうなものだと、患者側からすれば思う。

とにかく薬を処方してもらうため、介護保険をうまく利用するため、私たちは通院した。