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  「神社のそばに住むのが良い」

 

 

 

父の主張の根拠は次の三つ。

1000年の歴史を経て現存している厳粛さが、治安につながっている。

鎮守の森があるので、大きな木があり、木陰があり、散歩するのによい。

何よりも、初詣や七五三で、前向きな気持ちの人達が集まってくる。

 

なるほど。

いっしょに住む二世帯住宅の土地選びを、父は静かに見守っていて、最後の二択になった時の主張でした。

 

浦和の調神社(つきのみや)。 狛犬の代わりにウサギが一対鎮座しています。 月の使い。 長い耳で情報を調べることにも通じるそうです。 珍しい特徴はもう一つ。 鳥居の場所には縦の石柱が二本だけ。 租庸調の調、御供物を高く積めるように、横棒二本が無い由。 手水鉢ももちろん兔

 

 

知る人ぞ知るユニークな神社の近所に住むことになりました。

 

 

父が言っていたととおり、神社は適度の人通りがあり、隣接の公園は、子どもの遊び場として最適でした。 春には桜、秋には紅葉と銀杏。 歳の市も、縁起物の熊手を売る店、屋台も出てにぎやかです。 初詣のピークは三が日ですが、商工会の人達は、仕事始めの日に連れ立って詣でる風物詩。 四季が幾度か巡り、神社は随分と身近な存在になりました。

 

身近になると、緊張がゆるみます。 神社を通り抜けるのがコンビニへの最短コースになった時期に、思わず、ソフトクリームをなめながら神域に入りそうになりました。 その瞬間の不思議な感覚を忘れません。

ビビッと電流に触れたような感覚です。

あたかも、神社の結界に、跳ね返されたかのような感覚。

はっとして、息子の手を強く引いて、退きました。

脇の道を通って帰りました。

 

父が他界してから干支が弐回巡りましたが、木立のどこかに今も心を宿し、見守ってくれているように感じます

朝日に照る木々、夕日を透かす木々に、守られている感覚が、年々増しています。

 

神社のそばに住むことを父が勧めてくれたのは、恐いもの知らずの私に、畏怖の念を教えようとしたのかもしれません。 今日仰ぐ、神社の空も青く、高いです飛び出すハート