第79回 「聖体の論議」と「最後の晩餐」、アダムの視線 | レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

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レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の謎解き・解釈ブログです。
2021年5月末から再度見直して連載更新中です。

レオナルドの「最後の晩餐」で特徴的なのは、主要人物の配置です。

 

まず、イエスの左右はペテロとヨハネが配置されるのが一般的なのですが、

レオナルドの場合、イエスの左右はヨハネとトマスです。

(※体の位置から、大ヤコブが隣と考える人もいるでしょうが、自分は顔の位置で判断します)

何故、ヨハネーイエスートマスの配置にしたのか?は、第78回を参考にしてください。

 

今回は、ユダとペテロの位置に関して。

 

 

下矢印レオナルド当時の「最後の晩餐」は、ユダはテーブルの反対側に一人で着席させた作品が多かったので、レオナルドのユダの位置は、誰もが疑問を抱いたはずです。

 

「ユダはどこ?」

ユダが誰か判別できるように、アトリビュートである金袋を持たせ、ペテロの手前に座らせました。

 

 

「何故ユダを皆と同じ側に描いたのか?」と問われても、

「イエスの発した言葉が左右の弟子らに広がるイメージにしたのです。」

「イエスを中心に、3人×4つのグループにして、左右のバランスをとったのです」

 

などと、レオナルドが多重の意味を重ねるといった仕掛けを、何も知らない人々であれば、このような理由で誤魔化せたでしょう。

 

 

 

しかしラファエロは、「ある女性の肖像画(モナリザ)」をきっかけに、レオナルドが人に判らないように多重の意味を重ねる仕掛を施すことを理解していたので、この「最後の晩餐」の不自然な主要人物の配置には、何か別の意味があるとにらみ、考察していったのだと思います。

 

下矢印参考記事

 

 

  ユダとペテロの位置からみえる別の意味

レオナルドの「最後の晩餐」は、

ユダをペテロの手前に配置させることによって、

(ユダの背後には、ペテロがいた。)

 


ペテロの背に伸びる手は、普通に見れば小ヤコブの手ですが、ヘビの鎌首を表現しているようにみえます。これは創世記でアダムとエバを誘惑したヘビではないか?

 

 

 

(ヘビ(サタン)が先に誘惑したのはペテロだと、

レオナルドは言いたいのか!?)

 

 

 

下矢印参考記事

 

 

  ラファエロはどうしたか?

 

下矢印こちらは、署名の間の天井画になります。天井の各小作品は4つの壁画に対応していると考えられています。

 

 

「聖体の論議」に対応する1枚は、「アダムとエバ」

天井画は主に弟子らが描いたといわれる中、「アダムとエバ」は、ラファエロが描いたものと推定されています。

エバの半身は、レオナルドの「レダと白鳥」が元になっているようで、レオナルドとの関連を感じさせます。

 

 

エバはすでに実を食べていて、アダムに実を渡そうとしています。

ヘビとエバの視線はアダムに、向けられています。

 

アダムの視線は、実、エバを見ているようでもあり、その背後にいるヘビを見ているともみえます。表情のよく見えないユダのような顔の向きだと自分は感じました。

 

創世記では、はじめにヘビの誘惑を受けたのはエバ、次にアダム。

レオナルドの「最後の晩餐」の解釈では、はじめにヘビの誘惑を受けたのはペテロ、次にユダ。

 

 

そしてメインとなる「聖体の論議」では、

アダムとペテロを隣りにし、アダムの視線をペテロに向けた。

 

 

まるでペテロの背後の「何か」を見ているかのように。

 

 

このように、「聖体の論議」もまた、天井画の「アダムとエバ」と合わせて、

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に関連していると考えた次第です。

 

 

第80回に続く