第42回「最後の晩餐」レオナルド渾身の異時同図法 | レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

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2021年5月末から再度見直して連載更新中です。

1480-82年、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画制作者に、ヴェロッキオ工房の仲間であったギルランダイオ、ペルジーノとボッティチェリは選ばれ、レオナルドは選ばれませんでした。

 

ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂

 

システィーナ礼拝堂にボッティチェリらが依頼された壁画は、聖人の異時同図法による作品でした。

 

 

選ばれなかったレオナルドが、この時期(1481-82)に請け負った作品は「マギの礼拝」。

レオナルドは、通常の異時同図法ではなく、異時同図に見えない異時同図のものを描こうしたとみえますが、その下絵のアイデアは、フィリッポ・リッピとボッティチェリの影響が強いものでした。彼らの模倣に近いと気づいたからか、また経済的な問題も生じ、制作途中で放棄してフィレンツェを発ちミラノに移転しました。

 

 

 

 

ミラノにきて早々に絵の依頼が入り、彼は今度こそ、自分独自の異時同図となる作品を描こうとしたのでしょう。

 

表向きは、「キリストを礼拝する洗礼者ヨハネ」で、

裏の意図は、レオナルド独自の異時同図法による「洗礼者ヨハネの生涯」

 

洗礼者ヨハネの体の一部分を移動させることによって、「洗礼者ヨハネの最期」がみえるという、異時同図には見えない異時同図を仕掛けました。

この仕掛けに誰かが気づくか、気づかないか?

 

 

 

レオナルド独自の「異時同図には見えない異時同図」は、依頼主に気づかれないにしても、なにか不自然なもののように見られていたのでしょう。

ルーブル版の「岩窟の聖母」は、依頼主から受け取りを拒否され、長い年月の裁判の末、新たに描き直しをすることになりました。

 

 

  異時同図に気づくか、気づかれないか

 

 

「気づくか、気づかれないか」は、独自の異時同図法という観点で、彼ら(フィリッポ・リッピ・ボッティチェリ)を超える作品が出来たかどうかの判断基準だったと思います。

 

レオナルドは気づかれた場合の言い訳も用意していますが、何も知らない者達に意図を読み取られるようなら、当然に「異時同図には見えない異時同図」としては駄作となります。

 

逆に、「異時同図には見えない異時同図」を知っている者が見ても、意図を読み取られなければ、傑作と自賛できたのでしょう。

 

かつてヴェロッキオ工房で「キリストの洗礼」を共同で描く際に、「異時同時には見えない異時同図」を仕掛けた兄弟子、サンドロ・ボッティチェリ。

 

レオナルドが「最後の晩餐」のヨハネに、マグダラのマリヤを兼任させるための仕掛けとして利用したのが、ボッティチェリの作品「聖三位一体」です。

 

 

まず、この「最後の晩餐」の一作品を見ているだけでは、解くことができないように、

「最後の晩餐」と、他の作品(「聖三位一体」)とを合わせて見ることによって、マグダラのマリヤの兼任が判るようにしました。

 

 

 

そして、人物の平行移動によって別の意味を含ませ、

 

何重にも意味が通じるように、それぞれの人物のポーズ、手の形、視線、魚料理、窓の光などを構成したのです。

 

最後の晩餐

我にふれるな(マグダラの前に顕現するイエス)

トマスの不信

エマオの晩餐

朝食に弟子らと魚を食べる

 

 

  タイトルによる既成概念をすてよう

この一作品の描かれている構成をみれば、これは「最後の晩餐」の一場面であると見るのが大多数でしょう。タイトルも「最後の晩餐」と名付けられていますから、誰もがみな「最後の晩餐」としてみるものです。

 

しかし、レオナルドに影響を与えたであろう、フィリッポ・リッピやヴェロッキオ工房の兄弟子や、ボッティチェリ、そしてレオナルド自身のこれまでの作品の流れをみていくと、普通の「異時同図法」だったものが、「普通の異時同図法に見えない異時同図」へと、どんどん変化しているのだと、やはり自分は結論づけます。


 

はじめにマザッチョの異時同図があって、

 

その弟子のフィリッポ・リッピがその異時同図を進化させ、

 

その弟子のボッティチェリが応用を加え、

 

終にはレオナルド・ダ・ヴィンチが究極の異時同図を描きあげたのだと。

 

後世に名付けられたタイトルの枠に収まらない、

 

レオナルド渾身の異時同図法なのだと。

 

 

 

第43回に続く。

「最後の晩餐」はもう少し続きます。