3枚で1セット『洗礼者ヨハネ』が指す隠れたキリスト | レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

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レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の謎解き・解釈ブログです。
2021年5月末から再度見直して連載更新中です。

今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチが、『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼ヨハネ』の3枚の絵を手放さず持ち続けた理由についてです。
この3枚のうち、ダヴィンチが最後に手掛けた『洗礼者ヨハネ』は、これまで彼が描いた謎めいた絵を解くのに必要な、種明かし的な特別な絵です。
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2016/11/8の『天を指す人差し指の意味をラファエロとボッティチェリは知っていた』の記事と重複しますが、過去記事を読まれずにこの記事を読まれている方のために、『洗礼者ヨハネ』にどういった意味があるのか、その結論だけはじめに紹介します。詳しくは、過去記事をご参照ください。→p://blogs.yahoo.co.jp/sonosono159/69178342.html
 
ダヴィンチの『洗礼者ヨハネ』は、人差し指を天にむけていますが、本来は、聖書の中で洗礼者ヨハネがイエスに向かって「見よ、神の小羊」とイエスを指し示した様子を表現したポーズですから、普通は以下のように洗礼者ヨハネがイエスに向かって指さすポーズになります。
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ダヴィンチの洗礼者ヨハネは何故天を指しているのでしょうか?
 
ダヴィンチの『天を指す人差し指』の意味は、十字架にかかる前のイエス』を指すのではなく、十字架に架かったのち天から再びかえってくる再臨するイエス』を指すためであり、また絵の中において、イエスを直接的に指すことができない場合に使用するポーズと考えられます。
男にも女にも見えるように中性的に描いたのは、ダ・ヴィンチがホ モだったからでも、モデルといわれる弟子のサライが美少年であったからでもありません。男性に女性が、女性に男性が重ねて描かれている(兼任)と気づいてもらうためです。性別を超えて、人物の兼任があることも示唆しているのです。
 
天を指す人差し指が描いてあった絵は、ダヴィンチ本人では『マギの礼拝』『最後の晩餐』『聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ』です。旧知のボッティチェリは『誹謗』に、ラファエロは『アテナイの学堂』に、天を指す人差し指の意味を知った上で絵に描きこんでいました。
 
『マギの礼拝』は中央の幼子イエスの他に、木の背後にもう一人幼子イエスがいると推測します。
周囲の人々の視線が集まっています。絵の中に幼子イエスが二人いるので、直接的に指すことができず天を指す人差し指を用います。
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『最後の晩餐』の場合は、イエスの隣のトマスに『洗礼者ヨハネ』が兼任されていることを示し、イエスの隣に洗礼者ヨハネがくることによって、反対隣は12弟子のヨハネ(男性)ですが、性別を超えてマグダラのマリア(女性)を兼任させる仕掛けです。
そして、テーブルの料理が小羊の肉ではなく魚料理なのは、『最後の晩餐』のテーマに、ヨハネ21:4-14『十字架後にイエスが弟子たちの前に姿を現し、魚で朝食をとる』場面も兼ねていると見えるのです。
 
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『アテナイの学堂』は、プラトンに兼任したダヴィンチが、天を指す人差し指をすることによって、この絵の中に直接差すことのできないイエスがいることを示しています。年代の違う3人のイエスです。
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『聖アンナと聖母子と洗礼者ヨハネ』の天を指す人差し指は、絵の中に直接差すことのできないイエスがいることを示しています。『アテナイの学堂』と同じ年代の違う3人のイエスです。
 
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『誹謗』は、真実の女性が、天を指す人差し指をすることによって、この絵の中に直接差すことのできないイエスがいることを示しています。無実の男性にイエスが兼任されています。
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それでは、3枚の絵のうちの『聖アンナと聖母子』『モナリザ』の正体は何だったでしょうか?
 
 
●聖アンナにはイエスが兼任されています。
※詳しくは過去記事で→『聖アンナと聖母子』の聖アンナはイエスが兼任されている。
p://blogs.yahoo.co.jp/sonosono159/69182982.html
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●『モナリザ』は、ヨハネ黙示録12章の荒野で男の子(キリスト)を産む女が兼任されてます。
 
※詳しくは過去記事で→『モナリザの正体とキリストの再臨を待ち望む画家たち』p://blogs.yahoo.co.jp/sonosono159/69188646.html
 
 
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『聖アンナと聖母子』『モナリザ』の絵の中にも、直接指さしすることのできない隠れたイエス(キリスト)は存在しているのですが、これまでのように絵の中に天を指す人差し指が無いのは何故か?
     ↓ ↓ ↓
ダヴィンチは『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者ヨハネ』を、最初から3枚1セットの構想をもって描いていたからです。
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つまり『洗礼者ヨハネ』に、『聖アンナと聖母子』『モナリザ』の中の、直接差すことのできない隠れたイエス(キリスト)を指してもらっているわけです。絵のサイズは違いがありますが、人物の大きさがそれほど違いがないのは、3枚を1セットとする構想があったからだと推測できます。
 
下は、Triptych(トリプティク)と言われる、祭壇を飾るための3枚一組の絵の例です。中央パネルの両側に翼パネルがあり、折り畳めるようになっているものです。
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3枚の絵は、祭壇画。
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さすがに折り畳むことはできませんが、
『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者ヨハネ』は、ダヴィンチにとってのTriptych。
最後まで手放すことなく3枚持ち続けたのは、そういう理由でしょう。
 
生きている間に、再臨のイエスに会いたい・・・。
 
 
『モナリザ』の手の部分は、未完成であるといわれています。
ダヴィンチは絵を完成させたくなかった。
 
筆を加え続けることが、ダヴィンチにとっての神への祈りだったから。
 
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ダヴィンチは、いつまでも祈り続け、信じ続けたかったのです。
イエス・キリストが地上に再び産まれてくることを。
3枚の絵は、現在フランスのルーブル美術館でバラバラに展示されていますが、
いつの日か3枚並んで展示されることを心から願います。
 
 
「十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ。」
レオナルド・ダ・ヴィンチの名言より
 
 
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2019.8