三国 夜噺・諸葛の掟~夢の後先 左慈(さじ)語り編

第二部:夜明けの炎が満つる時-赤壁の戦い-

 

 

 

 

第五回続

 

 

 

 

 

東南の風を呼べ

真実は炙り出されねばならん…

 

 

真実がひとつのものであらば

 

 

風の声を聴け

炎の唸りにかき消されぬように

 

 

 

 

 

 

 

 

周瑜と魯粛が仕えたのが

もちろん孫権だ

 

 

 

 

 

…なんだと?

その話はコンパクトな感じで

―お願いします…だと?!

 

 

何がコンパクト…

 

 

それはな大秦(だいしん)の言葉からきておるな

知らんだろうが―

 

 

「大秦」を知らない?

 ああ もう よいわ

 

 

 

 

 

『碧眼児(へきがんじ)』に『美周郎(びしゅうろう)』だぞ?

そうだ孫権と周瑜のことだな

 

 

…こういうときだけ

創作の呼び名を出してくるのもなんだがな…

『周郎』は合っている

 

 

孫権は色の薄い光彩…眼をしておったのだ

髪は紫色といおうか 艶やかに光をよく はじいた

もしや年若く 光を まとった彼は

『至尊(しそん)』と呼ばれるにふさわしかったやも

 

 

なんだと?

本当に胴が長かったか だって…?!

 

 

今『至尊』と呼んだのを聞いていなかったのか!?

何故にまあそのようなこと訊けるのやら―

 

 

諸葛 瑾(きん)の顔は どのくらい長いか?

…驢馬(ろば)ぐらいだろう

言わせたかったのか…っ

はしゃぎ過ぎだな

 

 

ついでに劉備は手が長い か?

「長い」話が好きらしい

実は話が長いのは苦手?

 

 

 

よくここを訪ねられたもんだな

長い話しかないこの場この刻(とき)にな…

 

 

 

 

「驢馬(ろば)の逸話」は やめておけ

諸葛の兄 瑾の息子である 恪(かく)は利発過ぎ

父に 叔父の亮 更に陸 遜(りく そん)にまで

諫められておる

憂いは的中した

むなしいことだ

 

 

 

この つぶやきも

あの ささやきも 消えゆくのみか…

 

 

ちゃんと聞いてるだと?

そうか そうか…

 

 

 

かつて―この ほんの十年ほど前か

諸葛の叔父 玄(げん)を朱 皓(しゅ こう)が

劉 繇(りゅう よう)の力を借りて追い出した

亮らが荊州 -劉表の治める地- に逃れた所以だ

 

 

そこは二つの説があったと思う とな?

 

 

そうであろうな

正史を操ったのは実は諸葛 弟の均ゆえ

朱皓が扇動したとはいえ民衆の手にかかったとは

世話になった甥の身として避けたかったのだろう

 

 

それにしても…

朱皓の父  朱 儁(しゅ しゅん)が朝廷に戻ったは

李傕(りかく)郭汜(かくし)に対抗する腹積もり―

そうだったものを

 

 

 

李傕(りかく)郭汜(かくし)公孫 瓚(さん)

孫策 孫権の父 孫堅

そして袁術の時代のことだ…

諸葛玄が従ったも 考えあってのことだが

こうまで攻められようとは

 

 

孔明それに甥兄弟たちの行く末を案じたが

どうにもなるまい ―だが

兄の瑾は 孫権に仕え

亮と弟の均は 劉備と共に

天下を語り 動き出せるようにもなった…

 

 

―うむ?

さっきより遠くなった?わざとだろうと?

いや… おまえにとっては長い歴史だぞ?

このぐらいは 遠く かかるのではないか?

 

 

孫策に矢傷を負わせた笮 融(さく ゆう)

盟友である薛 礼(せつ れい)まで手にかけた

そんな話をまだ しておらぬし …笮融はな

仏誕祭を盛り上げた男だからな始末に負えん

 

 

―そのへんはもういいです?

 

 

 

いつか どこか 誰も聞き及ばぬものと なる…か

 

 

『赤壁』は別?

張飛と趙雲と阿斗なら聞きたかった?

まずは「長坂(ちょうはん)」か

…そうまで言うなら仕方あるまい

 

 

ならば こう言わせろ

「まずは次回の解き明かし」とな

 

 

わざと言っておるのだがな 

 

 

 

 

 

<三国 夜噺・諸葛の掟~夢の後先 左慈(さじ)語り編

第二部:夜明けの炎が満つる時-赤壁の戦い-第五回・終>

*このstoryはファンタジーです

第五回続き

補足※後日追記予定

大秦(だいしん) ローマ帝国[ラテン語圏]の中国史上での呼び名

       前世紀頃から当時にかけ交流・交易があった(との記録)

『碧眼児(へきがんじ)』『演義』での孫権の呼称

『美周郎(びしゅうろう)』(『演義』での)周瑜の美称・『周郎』

『至尊(しそん)』周瑜、魯粛らが当時の孫権を呼んだ尊称

※髪でなく髯が紫…至尊ったら髯自慢くらいな頬っぺただったのかな

 お目々キラキラ☆彡髯(赤)紫で,立派なお姿だったようです

諸葛恪(かく)諸葛瑾の息子 字は元遜 利発が過ぎたらしい…

     少年期「驢馬(ろば)の逸話」他 多数 

諸葛玄(げん) 諸葛亮兄弟の父・珪の弟で 甥の亮らを育てた

             ※その死に関しては正史『三国志』の内『蜀志』と

       別の『献帝春秋』では成行きが異なる

朱皓(しゅこう)後漢末期の人 字は文明か文淵 父は朱儁(しゅしゅん)

 ※欲を出した笮 融(さく ゆう)が朱皓、薛 礼(せつ れい)とも手にかけた

 ⇒当時、陶謙・劉表・劉繇・袁術・孫堅+孫策などが覇を競った地

朱儁(しゅしゅん)後漢末期の武将・政治家 字は公偉 別名[異字体]"硃俊"

「長坂(ちょうはん)の戦い」『赤壁』直前,曹操軍が劉備や領民を追った

NEWS雑記追記予定

 

 

 

 

 

 

やむを得ず公開/連載の休止・中止の場合は、すみません。

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無事に大型連休をお過ごし下さい

またどうぞよろしくお願いします

※お詫び

今頁(今回のお話)下書き編集中に、

投稿済み前頁を開き閉じした際の

おそらく筆者ミスにより、

前の頁が一度削除されたようで、

先に頂いた「いいね」が消えてしまい

申し訳ありませんでした

…どうもうまく操作できません。