「しかし、誰でも、聞くには早く、語るには遅く、怒るには遅いようにしなさい。」
(聖書個所 ヤコブ書1章19節)
私たちは語りたい生き物です。
「オレの話を聴け~」というのはありのままの人間の特性であります。
また、口はきざです。
女性から口先だけの男と言われたら、「お前は最低な男。」といわれたのと同じです。
だからホストは最低な男がやる職業です。
(勿論、嫉妬です。)
さて、そんなことはどうでもいいのですが、「聞くには早く、語るには遅く」という御言葉実に深い意味を含んでいるように思います。
信仰体験があまり、早いうちから語りだすと、「体験がともなわない」ことすら、語らなくてはならなくなります。
それは嘘ではないかもしれませんが、説得力を欠くことになります。
信仰は奥深く、十字架、復活、聖め、再臨。と続きます。
大体の人は十字架、復活を体験したら、キリスト教がすべてわかったような顔をして、語り始めます。
しかし「聖め」というがすっかり忘れ去られていたりします。
これではキリスト教を半分しか教えないことになります。
(ということを、私は母教会でS姉妹から教わりました。)
「聖め」は辛いです。
しかし、人間は人生で一度はこの火の聖めをどこかで受けねばなりませぬ。
(あるいは、来世で)
伝道師たるもの、十字架、復活で終わらず、聖めも時には語りたいものですね。