「なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この2つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分でしたいと思うことをできないのです。」
聖書の文字だけ読んでも聖書はピンと来ないのです。
怖いだけです。
しかしそこに聖霊が働くと、聖書が愛に満ちた書であることを私たちは理解し始めるのです。
人間的知識、知力、頑張りでは聖書は理解不可能だと私は思います。
聖書理解にすでに神様の力を私たちは必要とします。
肉(人間)は御霊(神の霊)に逆らうのですから、私たちが人間的に聖書を読んでも、「おっかねぇ。」とか、「勘弁してくれよ。」とか、「ああ、うんだりだよ。」とか、神様に対してそんな冒涜的なことしかおもいつかないのです。
例えば、マザーテレサのような聖者であったとしても。
「誰も誇ることのないためです。」(エペソ人への手紙2章9節)というのは、そう言うことを意味しているのです。