心が壊れないためにある程度の快楽は私たちがよきクリスチャンになるために必要です。 というのは快楽に飽きたとき私たちは次の道であるキリストの道を探し始めるからです。 心のどこかでひたすら快楽を求め続けながら、よきクリスチャンの振りをすると私たちの心は壊れてしまいます。