村上春樹のノルウェーの森を読んだのはもう二十年以上前のことだ。
私が高校生の時だった。
幼馴染の友人がその本を貸してくれたのだ。
彼は優秀な男で国立の医大に入学したのであるが、途中でドロップアウトしたのである。
私たちはよく夜中に家を抜け出して、私の部屋や、近くの空き地で高校生のくせに、いっぱしにタバコをふかしながら、いろいろな話をしたものだった。
その当時は私たちはとりたてて、自分の抱えていた悩みの話などはしなかったが、今思うと、彼がノルウェーの森を読んでいたこと自体、何かしらの悩みを抱えていたに違いないようにも思われる。
私は大体村上春樹の作品は読んでいた。
「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」どれも新鮮で面白かった。
でも、今思うと私は彼の小説の主人公の「僕」の品性に惹かれていたようにも思うのだ。
ストーリーも確かに面白かったが、彼の小説の「僕」という人間そのものに対して、私は惹かれていたように感ずるのである。
その「僕」はいつも恋人に寄り添い、話を聞く役だ。
あまり自分をださないようで、しっかりと自分を持っていた。
「僕」のそばには絶えず「死」があった。
「僕」は決して人に自分の価値観押し付けなかった。
「僕」の親友であるキズキは自殺をし、その恋人であった直子もやがて自殺をする。
直子は自分さらけ出し、泣き喚き、「僕」にありのままをぶつければよかったのかもしれない。
私はキズキや直子の笑顔をみたい。
今もきっとこの日本のどこかにいる彼らに決して死んでほしくない。