「 そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、
「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。
それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。」
(マタイ27章2節から5節)
イエス様がユダの自殺を止めなかったのは注目すべきことである。
イエス様はユダを愛していたと思う。
もし彼を見限っていたならもっと早いうちにこの男をイエス様は破門していたと思う。(ヨハネによる福音書13章18節)
しかし、イエス様はそうなさらず最後までこの男の悔い改めを願っていたのである。
つまりユダを愛していたのである。
しかし、そのイエス様ですらユダの死のうとする意志を止めようとはしなかったのである。
ユダを死ぬままにさせたのである。
どんなに愛したって死ぬべき人間は死んでゆく。
本当の「愛」はもっと他者を突き放してみることかもしれない。