「さて、イエスは悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。」
(マタイ4章1節)
御霊とは聖霊様のことである。
普通聖霊様というと、クリスチャンは「ハレルヤ、私は聖霊受けました、万歳!」などと言うのである。
しかし、聖書によると、その聖霊様が荒野に導くというのである。
荒野とは淋しいところである。
孤独である。貧困である。嘲笑である。哀れである。
宗派によると聖霊様を受けた徴を異言とみるところもあるが、その異言も聖霊様の導きにより、荒野を経験し、「うめき」へと変っていかなけれが、その異言は偽物である。(ローマ8章23節)
さて、しかし、私たちはこの荒野を通ってイエス様と一つになっていくのである。
決してこの世的な幸福ではないのだ。