「今」を祈る | 真夜中の伝道(死にたくなったら読むブログ)

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昼の喧騒から離れ、夜に読んでほしいです。孤独な魂に、必ず聖書の言葉が届くと信じています。

例えば、ある日突然クリスチャンの私が「星の王子様」の主人公のように、サハラ砂漠のど真ん中に突き落とされたとする。



あの主人公は「星の王子様」に出会えたが、私は誰にも出会えない。



見渡す限り、どこまでも砂漠が続いているだけなのだ。



私は今日何をするかのイメージすらまったく描くこともできず、いや、それどころか、「今」のその瞬間、何をすべきか、どこに向かうべきか、それすらさっぱりわからないのだ。



だから、私は「今、何をするべきか」を祈るしかない。



私たちは「今日、これこれをします。神様助けてください」と祈る。



しかし、聖書が私たちに教えている「究極的な祈り」とは「今、私は何をすべきかを教えてください。そして、その御心のままに導いてください」という祈りである。






(ヤコブの手紙4章13節から15節)


『聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。」と言う人たち。


あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。


あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。



むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』