ラザロさん | 真夜中の伝道(死にたくなったら読むブログ)

真夜中の伝道(死にたくなったら読むブログ)

昼の喧騒から離れ、夜に読んでほしいです。孤独な魂に、必ず聖書の言葉が届くと信じています。

新約聖書にはラザロさんという方が二人出てきて、一人のラザロさんはルカによる福音書に出てきて、「貧乏人」ということになっている。(ルカ16の20)もう一人のラザロさんはヨハネによる福音書に出てくる人で、一度死んで、キリストがもう一度復活させた方である。(ヨハネ11章)


さて、後者のラザロさんはマルタとマリアという姉妹の兄弟でもあった。


ところで、このマルタさんとマリアさんとラザロさんという方々はすごくて、キリストが個人名をだして、「愛して」いるといわれたのは、この方々だけだったと思う。(ヨハネ11章の5節)


ヨハネも愛されていたと書かれているが、こちらは自分で自分のことを「愛されていた」と書いているので、嘘ではないかもしれないが、ただ、ヨハネが変わり者だったのかもしれないと、考えるほうが、普通であろう。(ヨハネ21章20節)


さて、しかし、このラザロさんはキリストによって復活させてもらった後も、何の働きをしたのか、よくわからないのだ。


ラザロの手紙というのも、少なくとも私たちは知らない。


もしかしたら、キリストの回りにいた中で、しかもキリストと生活を共にした人たちの中で、この人がもっともキリストの栄光を直にみたのかもしれないのに、どうやら、「証」すらした形跡がない。(ヨハネ12章2節)


こともあろうに群集にまじってご飯を食べていたらしい。


ラザロさんは駄目人間のうえに、「証」する勇気すらなかった。


ただ、イエスを「救い主」であると信じていた。


それだけはあった。(というのは彼がその後裏切った形跡もないので)


そして、キリストはえこひいきに見えるぐらい彼と、その姉妹達のことを特別に愛していた。(まあ、神様にえこひいきはないでしょうが・・・・・・。ローマ2の11)


聖書の神様の「愛」の特徴が良く現れているような気がする。