神様の手引き歩行 | 真夜中の伝道(死にたくなったら読むブログ)

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昼の喧騒から離れ、夜に読んでほしいです。孤独な魂に、必ず聖書の言葉が届くと信じています。

私はとある老人ホームで介護職員として働いています。




時々、利用者の方を居室にお連れするときや、トイレにお連れするときに、手引き歩行というのをします。




利用者の方の両手をもって、私が導き手となって、目的のところまで利用者の方をお連れするわけです。




認知症の方で、歩くのもやっとの方は私だけが頼りなわけです。




もし私がそこで、「もういいや。面倒くさい」と投げ出したら、そこでその方は倒れてしまいます。




他の職員がいれば私が怒られて、その職員がその目的地までお連れすればいいですが、本当に私しかいなかったら、その利用者の方はそこで、亡くなってしまうことになります。




大げさに言えば、その利用者の方の運命は私にかかっているわけです。




そんなことを考えると、だらしのない、いい加減なわたしですら、その方をちゃんとそこまでお連れしないとなと、思います。




そうでないとその利用者の方に対して、本当にむごい仕打ちを私はすることになるわけです。




そんな時私はふと「神様の導き」のことを考えるときがあります。




私たちクリスチャンは神様の導きに私たちの人生をゆだねた者達です。




つまり私たちは神様によって手引き歩行されながら、神様の目的地に導かれているわけです。




そこでもし神様が「もういいや。面倒くさい」と投げ出したら、認知症の方と同じく、私たちもそこで倒れてしまうことになるでしょう。



しかし、罪びとの頭の私ですら、そんな気は起こらないのです。




ましてや、愛の神様が私たちを投げ捨てたりするわけがありません。












やや欠け月