さて今週は『サザエさん』ウィーク。そんな訳で昨日オンエアされた『長谷川町子物語』をリアルタイムで視聴していた。

 どこまで史実なのか解らないけど、久しぶりに原作を拝見したくて仕方無いね。実を言うと、俺の自宅には60巻台ながら姉妹社版の単行本が所蔵されている。と言うのも10年前に亡くなった祖母が『サザエさん』が大好きだったからだったりする。文庫版も最初の方(つまり戦後間もない頃)は親が購読してたりもする。尚、姉妹社版の単行本は『いじわるばあさん』の他に『エプロンおばさん』まで自宅にあったりする。『いじわるばあさん』はまだしも『エプロンおばさん』を愛読していた80年生まれもそうそういないだろう(と言いつつも10年以上御無沙汰してたりするのだけどね)。

 長谷川家のヒトラーと呼称されてた長谷川町子先生のお母さんを演じてたのが『ゲゲゲの女房』で古書店の面倒見の良いお母さんを演じていた松坂慶子さん。出演しただけでオーラが漂ってる。僕は長谷川町子さんの師匠が『のらくろ』の田河水泡先生だということは存じてたんだけど、森安直哉氏や山根赤鬼・青鬼の双子の兄弟の師匠ながら『まんが道』では意外にも直接登場してなかっただけに新鮮だった。

 田河水泡先生曰く「笑わそうとするのでは無く、普通の生活から発見することが大事だ」と語っていた部分は俺が藤子ファンだからF先生曰く「人気漫画家の条件は普通の人です」と直結しているように感じたね。そして俺自身がお笑いやってたこともあって、元芸人と化した現状で客観視すると余計に共感してしまう自分もいた。そして、このドラマを視聴して感じたことなんだけど


>長谷川町子さんって普通の女の子として描かれてるよな。


 ってことだった。女学校を出て内弟子になってからホームシックに陥ったり、15で漫画家になってしまって他の道を知らずに生きたことに思い悩んだり、人気作家となって精神的に追いつめられて胃潰瘍で入院して再起する姿など、「もがいてる姿がひたすら描かれてる」。そして市川海老蔵との逸話はどこまで史実なのだろうか?

 『ボクたちの交換日記』でも描かれていたけど、ネタ探しの為に町歩きしてるシーンも結構、気に入ってたりする。漫画家然り、芸人然り、アウトサイダーには変わらないからね。だけど、どちらもエンターテイメント業界に携わってる以上はファンあってのものだし、アウトサイダーなりに普遍性をもがきながら調査する。だけど、これって生きてる意味では他の仕事にも全部言えることであって、決して特別では無いからね。そして今回で自分が長谷川町子さんが「普通の人」と書かずに「普通の女の子」と書いたのも、御本人が女性だからってだけでなく、田河水泡先生の弟子だった頃は10代で多感期だったし、市川海老蔵のファンでもあったなど「普通の女の子」としての部分も描かれていたことが理由だからね。

 なまじ水木しげる(向井理)先生や手塚治虫(草薙剛)先生などがキャラ自体も濃かったので、長谷川町子(尾野真千子)は特にキャラの印象が無く、ましてや生涯独身だったので若い女性が主人公にも関わらず、恋愛ものに発展してない(と言いつつも市川海老蔵絡みのエピソードは或る意味で失恋もの)作品なんだけど、僕は寧ろ、そのシンプルさが好きです。数ヶ月前に『神様のペレー帽』がオンエアされた同じ局とは思えないぐらい方向性が逆だったね(と言いつつも手塚先生自体が第三者の視点だと超越していてるからってのも或ると思うけどね)。

 家族愛を史実に沿って描いたドラマだけあって温かさが心地よかったけど、姉妹社という社名自体が素敵だ。入院先の病院で女の子が原作者が側にいることも知らずに『サザエさん』に読み耽っていて長谷川町子先生に薦めるシーンとか好きだね。後、晩年期に長谷川町子記念館がオープンした時に家族連れの人に「長谷川町子記念館ってどこだから解りますか?」と声を掛けられるシーンもね。うーーーーーん、手塚先生は自ら作品に登場することも多いし、写真拝見したらマンガ好きなら誰もが即答出来る程に有名人だけに或る意味で真逆の生き方だった気がする。

 長谷川町子先生はかなり人見知りみたいだったけど本質的には『サザエさん』な部分があり、『いじわるばあさん』な部分も或ると思うのね。何しろ普段は仕掛人の『いじわるばあさん』が長谷川町子先生の餌食にされ「いじわる作者」と怒鳴ってたりするぐらいだからね。