昨日、金曜ロードショーにて『ALWAYS三丁目の夕日』64が地上波初オンエアされましたね。僕は公開当時に3Dで鑑賞しに行きました。とりあえず、昨年に書いたネタバレなしのレビュー記事をペーストしよう。
http://blogs.yahoo.co.jp/ningenyajirobe/64842824.html
 そういえば、『ドラえもん』に登場する空き地が実写で再現されるだけで嬉しいって上記の記事で書いたけど、今回の64では登場してなかったような(苦笑)。上記の記事で書いた通り、僕は山崎貴監督の作品自体が結構好きで『ジュブナイル』『バラッド』ー名もなき恋の歌ー、『(スペースバトルシップ)ヤマト』。どれも好きです(誤解の無いように敢えて説明するが、自分がクレしんが好きでヤマト2199を毎回楽しみにしてる側であるうえで『バラッド』やキムタク主演版ヤマトを支持してることも付け加えとこう)。


 僕自身、ひねくれたオタクゆえに過剰に神経質になってしまう感覚も理解出来るので直球で王道的な娯楽作品だけに「ALWAYS=豪華キャストを強調した昭和30年代を美化した作品」という捉え方をされてる痛いアンチも少なくないと思うんだよね。だけど『釣りバカ日誌』にも同じことが言えるけど、映画は映画で個性があり作品としても確立されてるし、それでいて原作の雰囲気を壊滅している訳ではない。そしてALWAYSに関しては吉岡秀隆ささんが主演。つまり茶川先生が主役として描かれてる。

 茶川先生はALWAYSのシリーズ全体で言えることだけど、無様なクズ作家として描かれてる。昭和30年代と言えば、東大卒ってだけで前途の将来が有望されていた時代だったと思うのだけど、茶川先生の人生の応用が利かないダメっぷりは寧ろ、現代に問題視されてるという意味では、やはりこの作品は現代映画だと思ってる。負けず嫌いで融通の利かない庶民ぷりは僕と他人とは思えなくて親しみやすい(失笑)。そんな茶川先生が淳之介(須賀健太)を押しつけられる形で引き取り、次第に親心が芽生えてく姿や昭和30年代を生きる三丁目の住人の支援ぶりは寧ろ、現代だからこそ考えさせられるものが或る普遍性を感じるね。

 さて、茶川先生ですが、今回も裏切ることなくクズっぷりを発揮してくれました。打ち切りを避ける為にファンレター捏造するし、今回は勘当した父親が危篤だと電報が届いたときの躊躇いから来た悪口の中身。ALWAYSシリーズのファンなら誰もが感じたであろう。


>似たもの同士じゃねーか!!血のつながりは争えないね。


ってね(大笑い)。そして実家に帰省して父親に罵倒される→父親が死亡する→影ながら応援していた真実を知った。という王道的な展開に入る訳ですが、毎回に一言だけメッセージ的な感想をしおりに挟んでたのはベタだけど泣けるね。


 今回は、ついに堀北真希さん演じる六ちゃんが恋をして結婚するまでを描かれてますが、恋する女の子として描かれる六ちゃんはやっぱり可愛い。俺は女子アナには興味がないが『ブラタモリ』収録中の久保田アナは萌えキャラとして認定してるんだけど、六ちゃん自身が田舎から集団就職で上京してきて世慣れしてないから、デートシーンが或る意味で『ブラタモリ』に重なるものを感じたね。恋は盲目と言うか、変な噂を聞くと、そのことばかりを気にして止まらないって初恋あるあるだと思うんだけど、六ちゃんが悩んでるのを察したヒロミ(小雪)さんが姉のように相談に応じるのも名シーンだと思う。

 
 さて、今回で一平(小清水一輝)と淳之介が思春期を迎える訳だけど、思春期を迎えた作品としては、どうしても否定せざるえないし、どうしても『20世紀少年』と比較してしまう。予告でも反抗期を迎えた一平が音楽に目覚める姿が紹介されていたけど、自分が『20世紀少年』のファンだからこそ一切期待出来なかったし、「絶対に出番が少ないだろ」と思ってた。寧ろ、反抗期と縁のない淳之介が「茶川先生の作品を愛し、茶川先生の背中を見て育ち、作家の夢を追いライバルの立場になる」という意味では、僕自身が毎年R-1で一回戦敗退を繰り返し、お笑いブームの当時は業界そのものに幻滅し、自分自身が見失っていたので茶川先生の苦悩を物凄ーーーーーーく共感出来るし、茶川先生に訴えかける淳之介が自分に訴えかけてる気がして、思わず茶川先生が逆ギレしてしまったのも共感出来る。お笑いの道を選んだ人で喩えると、既に淳之介は思春期を通り越して高校を出て養成学校に進んだ子ぐらいの年齢に達してるといったところか?まあ、俺自身に言わせば「たかだが高校を出たばかりの普通の18の子だろ」と思っちまうし、「社会人になろうとせず、お笑いにしがみついてること自体が甘えなのだろうか?と思い詰めちまったことねーだろ」と思っちまうんだけどね。そんな訳で「いつまでも子どもでいたい」と思っていた自分だけど「だからこそ保護者でもありたい」という感情も芽生えたので、将来的には構成作家として支援したいという「こっ恥ずかしい感覚」も内包してたりする。

 さて、東日本大震災の翌年に上映されることになったこの作品。「戦後からの復興」を描いたという意味でもタイムリーだと感じた訳だけど、昭和39年と言えば、東京オリンピックが開催された年で或ると同時に、昭和30年代最後の年だ。藤子ファン的にボケるとオバQの連載が開始した年でも或るんだけど、今回の64で描かれたことは

・茶川先生を勘当した父親が逝去
・やがて迎える高度経済成長期を警鐘することになる宅間先生の台詞
・六ちゃんの結婚
・淳之介の巣立ち(茶川「全力で潰す」発言)

・・・・・シリーズ化した『ALWAYS三丁目の夕日』を山崎監督なりに完結させようとする姿が窺えたね。「待ってました」とラストの夕日シーンは1作目は東京タワーが完成したところで、2作目は東京タワーから眺めた、そして最後は・・・・・