◢◤私~そして「みづほの道」37◢◤ | sonney「あはやさわ☆まなたから」のブログ

sonney「あはやさわ☆まなたから」のブログ

吾速澤真名宝
オトとコトのライフワーカー
Cosmic Sound & Word

◢◤私~そして「みづほの道」37◢◤
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
私はいかなる組織にも宗教にも属していない
ただあるは神から授かった「道」のみである
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
東京都杉並区高円寺はすごく住みやすいところであった。
学生も多く、どこもかしこも商店や飲食店で活気にみなぎっていた。
そして自由な空気に満ち溢れていた。
新宿に近いという利点もあった。
どんなに夜が遅くても終電車に余裕で乗れる。
私はこの街を基盤として音楽活動に勤(いそし)んだ。
都心は勿論のこと、中央線の立川や八王子まで行った。
中央線沿線の仕事もよく入った。
立川ではアメリカの兵隊さんやちが大勢来ていた。
時々、横浜のクラブにも出演した。
横浜は都内の1.5倍のギャラが稼げた。
当時のミュージシャンやバンドマンのほとんどは箱屋と呼ばれる音楽事務所を通して店と月契約で仕事を取っていた。
この人たちは曲者ばかり。
在日系や同和系のヤクザと思って間違いない。
ところで地方の仕事はビータ(旅)と言った。
衣食住付きで2倍のギャラ。
横浜や千葉は半ビータなのである(笑)。
都内で一番稼げるのが銀座のクラブのピアノの弾き語りであった。
一人で演奏するので2倍ほどのギャラが稼げた。
デュオ(二人)で演奏しても3人分貰える。
4~5人でやる演奏は楽しいが、稼ぎたいときは小人数の箱を探す。
毎月どこかでオーディションをやっている。
いい箱にはバンドマンが殺到する。
深夜12時以降のバンドの仕事は1.5倍のギャラ。
一人でやれば倍は稼げる。
だが体がもたない(笑)。
ピアノの弾き語りで稼いでいた者は、夜7時~11時半まで30分おきに2件のクラブを掛け持ちして、さらに夜中の仕事もやっていた。
まるでこうなると流しと同じだ(笑)。
当時で月収80万円は下らない荒稼ぎだ。
40年前の80万円て、今のいくらなんだ?!
想像してみてほしい。
なんだか裏家業みたいだ(笑)。
いやな渡世じゃあござんせんか。。。
次に高円寺時代の顛末も話してみようかと思う。