◢◤私~そして「みづほの道」32◢◤
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私はいかなる組織にも宗教にも属していない
ただあるは神から授かった「道」のみである
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われら家族の新生活は一家四人で始まった。
私と両親、そして四つ離れた弟。
東京都足立区椿というところだが、目の前には田んぼや畑が広がっていた。
その先の近くに、後に通うことになる中学校があった。
母校・足立区立第八中学校。
八中事件というのがあり、かつて新聞沙汰になったそうである。
先生を袋叩きにして暴行したとか。。。
実際に私は、夕方の薄暗いときに、不良グループが一人の教師を囲んで恐喝・暴行している現場を目撃したことがある。
その教師は土下座させられて泣いて謝っていた。
なんたることか。。。
そんな札付きのワルがいた中学校であるから、近隣からも恐れられていた。
以前にも話をしたかもしれないが、毎週のように、校門に犬の死体がぶさ下がっていた。
小学生の私は苦痛で胸がかきむしられる思いをした。
何歳か年上の、戦後のベビー・ブームに生まれた者たちほどワルな世代はない。
不良少年たちは空気銃やナイフを持ち、不良少女たちはチェーンで武装していた。
私も荒川土手や薄暗い道で何回か脅されたことがある。
見かねた父は私にボクシングのサンドバッグを作ってくれた。
毎日それに向かってケンカの練習をした。
田んぼの目立つところに置いていたので悪ガキどもは敬遠するようになった。
父のアイデアが功を奏した(笑)。
目の前の田んぼは美しい。
春には紫のレンゲの花が一面に咲く。
秋には刈り入れられた稲穂が黄金色に輝く。
それが私の庭であり遊び場だった。
中学一年の時に柔道の道場に毎日通うようになった。
仲良しのクラスメート、縫谷君も一緒だった。
私らの世代は「姿三四郎」がヒーローだったからその影響もある。
富山にいた頃も背中に畳んだ柔道着を背負い、腰に手拭いをぶら下げ、高下駄を履いて道場に通った。
そんなチビを想像してみたまえ(笑)。
縫谷君の家は荒川土手の近くにあった。
お父さんとお姉さんと彼とが六畳一間しかない朽ち果てそうな一軒家で生活していた。
大人が立つと天井に手が届くほどの家だ。
かわいそうに。。。
家というにはあまりにも惨めだ(悲)。
年老いたお父さんは寝たきりのような状態だった。
その家まで行くにはぬかるんだ細い道を通っていくしかない。
だが彼は底抜けに明るかった。
今はどうしているだろうか。。。
ありがとう友よ。
いつか天国で会おう!