◢◤私~そして「みづほの道」30◢◤ | sonney「あはやさわ☆まなたから」のブログ

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吾速澤真名宝
オトとコトのライフワーカー
Cosmic Sound & Word

◢◤私~そして「みづほの道」30◢◤
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私はいかなる組織にも宗教にも属していない
ただあるは神から授かった「道」のみである
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私が弱冠19歳にして経営することとなった店舗の場所は新宿区百人町というところにあった。
今はおそらくその地名は無いであろう。
職安通りから少し入ったところのビルの2階であった。
わりと近くには、歌声で有名な灯(ともしび)があった。
今から思えば、若いというのは怖いもの知らずと同義語なような気がする(笑)。
それは後でお話ししよう。。。(汗)!
その空き店舗のつくりは、毛足の長い薄オレンジ色の絨毯が敷き詰められている内装であった。
当時は絨毯パブというのが流行っていて、お客は靴やコートや荷物をクロークに預ける。
これでは絶対に飲み逃げは出来ない(笑)!
私はここにピアノと音響システムを入れようと思った。
今で云うライブハウスの先駆けのような感じだろうか。
店の名前は「タムタム」にした。
ドラムのような響きだ。
私が演奏している以外の時間はレコードをかけることにした。
佐藤君はモリゼを退職して私の片腕となってくれた。
彼は飲み物やおつまみ・食事等をつくる役目を引き受けてくれた。
私はと言えば、演奏したりお客の接待をしたり、店の全体の経営を受け持った。
お客さんからはマスターを呼ばれていた。
しばらくすると演奏をやらせてくれというお客も来るようになった。
踊れる曲を流すことにより、ゴーゴーなどが好きなお客も集まってきた。
しかし通りの奥は連れ込みホテル街である。
ギターの弾き語りの笠島さんは一階の「マルガリータ」という店で演奏していた。
彼は後に六本木に出店をしたが、その後はどうなっているのか消息はつかめていない。
佐藤君は新宿西口の繁華街で雀荘の経営者となった。
ところで話しは変わるが、よくもあのような物騒かつ如何わしい場所で商売をやったものだと思う。
あることが理由でその店をたたむことにした。
それはともかく、つくづく人との出会いは不思議であると思う。
不思議な糸は神様の意図でもあるのか?!