◢◤私~そして「みづほの道」28◢◤ | sonney「あはやさわ☆まなたから」のブログ

sonney「あはやさわ☆まなたから」のブログ

吾速澤真名宝
オトとコトのライフワーカー
Cosmic Sound & Word

◢◤私~そして「みづほの道」28◢◤
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
私はいかなる組織にも宗教にも属していない
ただあるは神から授かった「道」のみである
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
私が最初にピアノの弾き語りをやった店は「モリゼ」というイタリアン・レストランであった。
記憶を辿っていこう。
渋谷駅からさほど遠くないところに「東電通り」というのがあったと思う。
しばらく行くと右手にKAWAI楽器のビルがあり、その並びにそのレストランがあった。
ところでその昔、KAWAIと言えばYAMAHAと並ぶ楽器メーカーであり、YAMAHAの創業者もKAWAIでオルガン製作の技術を磨いた。
KAWAIが営業成績を伸ばしたのはオルガンの販売であったように思う。
子供の情操教育のために電気オルガンが売れた時代があった。
私の母は家計を助けるためにKAWAIのセールスレディをやっていて、電気オルガンを毎月200台ほど売り、日本一になったことがある。
私も高校三年の夏休みに、足立区西新井の営業所のセールスマンに交じってアルバイトをやったことがある。
暑かったなあ(笑)!
都内下町の新興住宅地を数人のグループで回り、飛び込みセールスをやる仕事だ。
毎月500円ほどの掛け金を積み立てて満期になれば電気オルガンが手に入る仕組み。
これと同じやり方をしたのがブラザーの電気ミシンであろう。
我らの子供の頃はまだ貧しかったのだよ(笑)。
そんな貧しい下町地区の家庭を一軒一軒歩いた。
「KAWAI楽器から来ました。オルガンの積み立ていかがですか?」
高校生でしかも営業経験もない私であるのに、一日に2~3台成約できた。
KAWAIというブランドで信用してくれて、若いお母さんが子供のためにオルガンを買おうと決心してくれるのだ。
いやセールスマンが来るのを待っていたというほうが正しいかも(笑)。
凄いエネルギッシュな時代があったものだと思う。
ところでその営業所のセールスマンに豊島さんという腕利きの人がいた。
彼は私が音楽活動を目指していることを知り、高校を卒業してから、渋谷のKAWAIで音楽普及業務をやっていた南部さんという人を引き合わせてくれた。
南部さんはフランク・シナトラが好きな人だった。
「渋谷のレストランでピアノの弾き語りを探してるのでやってみないか」と話しを持ちかけてきた。
「条件は、うちの抱えている女性歌手の歌伴もやってほしい。」
その女性歌手は幸田真理と名乗っていた。
実は南部さんのオンナであった。
南部さんは既にKAWAIを退職していて、品川で音楽事務所を開いていた。
そこにはピアノが設置されているレッスン室があり、ピアノ講師もいた。
後で知るのだが、その先生はYAMAHAのエレクトーン講師としても名を馳せていた。
私がジャズを好きなのを知ると「自由が丘に老舗のジャズ喫茶があるから行ってみるかい?」と私を誘ってくれた。
さて幸田真理はそこで事務所を切り盛りしていた。
彼女の目指していたのはジャズボーカルであった。
「ハロー・ドーリー」や「踊り明かそう」等のミュージカルナンバーが得意であった。
大変な思いをして品川まで通いリハーサルをやらされた。
その帰りに駅前の本屋に立ち寄ったら手に入れたい楽譜があった。
夕方だったと思う。
お金のないみじめな私は楽譜を買ってしまったために、品川から足立の実家まで歩くはめになってしまった。
仕方がないのでジルベール・ベコーの「バラはあこがれ」を口ずさみながら帰った。
家にたどり着いたのは朝(笑)。
これが若さかバカさかは知らねども(超笑)。
そして毎日ピアノの弾き語りをやることになった私の名前が店の前の看板に書き出された。
本日の出演「ピアノ弾き語り〇〇〇」。
初めて大衆の面前に名前が出て責任を感じた。
18歳の私がプロ意識・職人魂を磨くことになったのは言うまでもない。
さらにその店で働いていた佐藤君との出会いが次の展開を生み出してくれた。
人生とはかくも不思議なり!