◢◤私~そして「みづほの道」26◢◤
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私はいかなる組織にも宗教にも属していない
ただあるは神から授かった「道」のみである
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私は日本人として生まれ、日本人として育った。
今はその事に感謝している。
だが私の反骨精神を目覚めさせたのは、中学校や高校での事に起因している。
私は小学校三年生の三学期に、富山県から東京の足立区に転校した。
富山は教育県であったが足立区に住んでからはスリルとサスペンスの連続であった(笑)。
のんびりと勉強も何もしないのに、不思議と小学校や中学校では優秀な成績をおさめていた(自慢笑)。
当時は教員も足りなく、代用教員というものも存在していた。
それが悪いというのではなく、足立区という辺境の地では教員免許を持っていない先生が沢山いたのは仕方がないことであったかもしれない(悲)。
夕方あたりから酔っぱらっている用務員のおじさんがいたり、保健室に常駐しているおばさんがいたり、それはもう華やかだった(超笑)。
おまけに正規の先生でない人がクラスを受け持ったりしていた。
これは今で言うアルバイトなのではないか(驚笑)!
そんな婆さんが学校に何人もいたが、そんなことはどうでもよかった。
ただただ教員としてのレベルに問題があっただけだ(笑)。
婆さんはいたが爺さんは居なかった(超笑)!
何故なんだ!
それが足立区という特殊地帯だったからであろう。
ここに住んでいたおかげでずい分と社会勉強をさせてもらった(笑)。
小学校当時、その辺境の地域名は各部落に分類されていた。
教室の後ろの大きい模造紙には部落ごとに氏名が書き出されていた。
加賀、皿沼、糀谷などという部落名が10ほどあった記憶がある。
帰りは部落ごとに集団で下校する必要があったからである。
遠くの者たちは埼玉県境の部落から一時間も歩いて通っていた。
いわゆる同和・在日を含めた混然一体の興味深い地域(笑)。
私の貴重な子供時代を育んでくれた足立よありがとう!