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懐かしい先生たち!
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今日久しぶりに、吾が母校である都立〇〇高校の同窓会々誌が届いた。
そこには懐かしい先生の記事があった。
一人目はW先生。直接の交流がなかったのだが、どうもこの内容は私と同志の事のようだ。
普通は生徒が先生に影響されるのだが、先生は生徒に影響されたとインタビューに応えている(笑)。先生は〇〇高校の卒業生であり同窓生でもある。
:「真の自由学校とは」を再考させられた学校紛争
W先生 「現在の実態はあまりよくわかりませんが、教師として戻った10数年間で一番影響を受けたことに、学校紛争があります。この紛争で、教員の本質を問われるようなことを生徒諸君から突きつけられました。”自由”を扇動する人たちがいる中で、私も30代で若かったのでとても苦悩しました。今振り返ってとてもよかったと思うのは、イデオロギーとして固まった部分を持っていなかったことです。当時、広いグラウンドに集まり、生徒諸君と全校集会をやりました。討論会を何度かやり、教員と生徒側から司会を立てましたが、イデオロギーに固まった教師は司会になれませんでした。そこから、何を学んだかというと、教師は一つの考えに凝り固まってはいけない、まして生徒にそれを押し付けるような形は絶対にとってはいかんということです。以来、その考えは退職まで貫いたつもりです。」
司会 「教職人生での大きなできごとを〇〇高校で体験されたのですね。」
W先生 「はい。『真の自由』を再考するきっかけをつくったのは高校紛争でした。このできごとは、自分の基本的な立場を確立する大きな役割を果たし、このとき一本の筋を通したことが自分にとって後々財産となりました。一人ひとりの生徒の価値観を確立するにはどうすればよいかと考えました。いろいろな人と出合い、磨かれて、それを活かしていくことが、自分に課せられた責務だと、孫世代の在校生に伝えたいです。」
※当時、私は学校紛争のきっかけをつくった校内組織「全闘連(全学闘争連盟)」の委員長であった。稚拙であったため、先生方や生徒諸君に迷惑をかけたこを深く陳謝する。しかしながら、W先生の率直な言葉を聴き感無量である。先生、ありがとう!
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二人目は1~2年のときの担任であり、物理の先生であったU先生。
先生は私が20代のときに、渋谷区で開業した喫茶店のお祝いに駆けつけていらしたことがある。生徒がこっそり呼んでいたあだ名は「おぼろ月」(髪を想像して!笑)。
老化現象を防ぐため、地域の囲碁同好会に参加されたり、料理教室に入ってらっしらる。先生には随分と苦労をかけたかもしれない。
実は全く試験勉強をしないで物理の中間テストを受けたので悲惨な点数であった。先生に、期末で50点以下だったら赤点だぞと叱られた。私は奮闘して難しい物理の試験で95点を取り、なんとかセーフであった。先生ありがとう!
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3人目は通称・アパッチ。体育のY先生である。目つきがするどく色黒で体は引き締まってアクションスターのような人だった。なんと先生は私と同じ地域に住んでいらっしゃる。何十年も気が付かなかった。
臨海学校の最終日に遠泳があり、体育系生徒以外で出場を希望したのは私だけだった。一時間以上も海を泳ぐので、あいつは大丈夫だろうかと心配されていたみたいである。私は上位で泳ぎきった。小さい頃から海で泳いでいたのでわりと得意だったのである。
いつか先生にお会いして御礼が言いたい。先生ありがとう!