ミニ自叙伝「思い出の断片19」 | sonney「あはやさわ☆まなたから」のブログ

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吾速澤真名宝
オトとコトのライフワーカー
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ミニ自叙伝「思い出の断片19」
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 「JAZZてんとう虫」は団塊の世代を中心にして、その前後の年代のお客さんが多く集まりました。常連客となった人は皆さんとてもいい人たちでした。

前述しましたように、「てんとう虫は」新宿センター街というところにあったのですが、近くにはゴールデン街という風情のある場所(笑)も在りました。赤塚不二夫やタモリたちも馳せ参じていたた一角です。彼らがたむろしていたところは「ジャックの豆の木」という店だったと思います。


 友人でコータローさんの経営していた「トートの書」という店もあり、私の好きなところでした。ただし、よくわきまえていませんと危なくも怪しげな店もかなりありました。そこが映画のセットみたいで面白いのです。これは話し出すときりがありませんので、ここらで止めにしておきます(笑)。


 さて、てんとう虫は左翼も右翼も関係なくジャズのレコードに酔いしれていました。政治も哲学もUFOや超常現象の事も何もかも、見知らぬ同士でも朝まで語り明かすこともしょっちゅうでした。まるでフランスのカフェのようです。


 時々フォークのレコードなどもジャズの合間に流していました。当時は井上陽水などのLPも鮮烈でした。「かぐやひめ」の「神田川」が流行っていた頃、これを聞いて皆が涙ぐんでいました。


 信じられないと思いますが、当時の若者たちは猛者も相当いましたが、案外と純真でナイーブだったのです。このような時代はおそらくもうやって来ないでしょう。フランスにおける絵画やシャンソンのかつての時代が過ぎ去ったように、時代とはそういうものなのでしょう。


 さてさまざまな紆余曲折がありましたが、渋谷区本町の「Pubあめりか屋」は私が29歳の時に出した店です。思い切って昼間のランチもやり店舗の家賃と光熱費を捻出しました。開業資金が300万円ほどかかりましたので、当時流行ったインベーダなどのゲームの出来るテーブルをリースしたところ、一年かからずに借金が返済出来ました。


 バンド演奏で使用していたフェンダー・ローズという電気ピアノを設置して演奏ができるようにもしました。


 当時はUFOをはじめとする精神世界のブームでしたのでその類の雑誌も置きました。私も度々UFOを目撃したり不思議な体験をしていた事もあったからです。


 とにもかくにも、お昼の開店と同時にドットお客がなだれ込んで来ました。飲食業というのは人の三倍働かなくてはなりません。日銭が入りますので当たれば儲かります。


 それにも増して、ゲーム代金の収入がハンパではありません。テーブルのリース屋と週に一度ごと折半するのですが、自転車のハンドルが重くて運転が大変な程に百円玉が集まりました。それで店の開票資金の借金を返済出来たわけです。笑いが止まらなくて腹が痛くなりました(笑)。


 活気ある凄まじい世の中でした。多くの人が脱サラをするときに、「喫茶店をやってみようか」ぐらいの軽い気持でもなんとかやっていけたのです。いい時代だったのでしょう。若者たちの多くは自分の夢に向かって突き進んでいました。


 近所に住んでいたメリージェーンのヒット曲で有名な「つのだ☆ひろ」やその事務所の人たち。そして彼のバンドのメンバーたちとの交流も懐かしい思い出です。


 「アイ・ラブ・ユー」の尾崎豊も無名の時に来てくれました。まことにさわやかで真面目な青年でした。彼の死を耳にしていたたまれなくなったのは言うまでもありません。


 超常現象関係の本を置いていましたので、そういうオタクなファンも来ていました(笑)。UFO番組を担当するテレビ・ディレクターもお客様でしたが、彼はその後、カルト本などを出してずいぶんと怪しくなりました(笑)。


 昼のランチから夜のスナック・タイムまで眠る暇もなく、とにかく忙しいかったことを今でも思い出します。どうしてそんなに繁盛していた店をやめたのか。そこに吾が運命の分岐点がありました。