ドレミ論考<音律のピッチ> | sonney「あはやさわ☆まなたから」のブログ

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吾速澤真名宝
オトとコトのライフワーカー
Cosmic Sound & Word

音楽するには歌心を培うことが大切である。

楽器を奏でるにあたってもである。

良い音楽表現には真善美がともなう。

楽器奏者はぜひ歌の心を習得していただきたい。

ドレミファソラシの正しいピッチは何かという質問を受けた。

ラという基準音を何ヘルツにするのかという問いは確かに重要である。

バッハの時代にはあんなに低かったのに、今では440ヘルツよりも高くなっている。

たしかに大いなる疑問であろう。

これは音楽の演奏にあたり、ピアノという楽器の調律を基本にしているからそのような事態になっているのだ。

そしてそこには、そのことに反発する敵意が滲み出る。

かくいう私もピアノ弾きなのだが、私は子供のころは木琴やウクレレやギターから始まって、ピアノという楽器にたどり着いたため、そのことは良く理解しているつもりである。

私は高校生くらいのときにその疑問にぶつかった。

なぜなら、ある曲から次の曲へ移る場合にキーが違っているとしよう。

実は曲が変わって違う調になった時、その調に合わせて弦のピッチを変えなければ気持ちが悪いことに気がついた。

当時はギターで自分の歌を自分で伴奏するということをやっていた。

例えば、開放弦でEマイナーの単純な歌の伴奏をやっていたとしよう。

2曲目はAマイナーである。

私は違和感を感じた。

何か変だ。

調弦しなおした。

問題は解決した。

お分かりであろうか。

私の発見はすなわち、一曲ごとに調弦することがベストであると気づいたことにある。

しかしである。

それに乗っかる歌のメロディーに関してはもっと厄介である。

なぜならハ長調のときのCコードのF♯音(♯11度)とニ長調のDコードのF♯音(長三度)のピッチは実は違うからである。

一流の歌い手はそれが身についている。

ジャズボーカリストなどはバッキングのコードに左右されずに自分の歌心を表現している。

だからブルージーな感性で表現できる。

本人が意識しなくても、半音の半音だって無意識に使っていて、それが実に心地よく響く。

音楽の最上の表現とは歌心なのである。

それを差し置いて理論も方程式もない。

極端に言えば民族や各個人によってスケールのピッチは違っているだろう。

ハ長調のミの音はアフリカの黒人とヨーロッパの白人では違って当たり前である。

五音階の民俗音楽のラと、七音階のクラシックのラでは違う。

三味線の調弦とピアノのピッチでは違うだろう。

純正律やピタゴラス音階といえども、歌という表現方法の前にはかたなしである。

平均律を敵対視する理論? そんなものはそれをその人たちに任せておけばいい。

良い音楽の律とは、基準となる太陽、すなわち核音(例:ドレミのド)の上の乗ったそのキーで調弦された和声と自律したメロディーにほかならない。

コズミックサウンドにおける核音の周波数に関しては別の機会に論ずることとする。
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追記

楽器によっても心地よく響く律が違う。

私は三十数年前のアナログ方式の電気ピアノを所有している。

フェンダー・ローズという名器だ。

弦が音叉のようになっていて、その各々の弦の一本一本にマイクがついている。

なんとも手間ひまかけた涙ぐましい楽器である。

これが実にものすごく音質が良くて癒されてしまう。

夢見ごごちの音とはこのことか。

普通、ピアノの調律は平均律である。

しかし、フェンダー・ローズを平均律で合わせてもしっくりいかない。

純正律? ピタゴラス?

いや違う。

この楽器こそピッチを測定するメーターで調律するのがふさわしいピアノなのだ。

チューニング・メーターさえあれば素人でも調律できるので重宝した。

調律を依頼しなくて済むので経済的でもあった。

低音から高音まで73鍵。

機械的にメータを使っての調律。

それがベスト! それは驚異!

平均律で調律したらうまくいかない。

そこに律の謎が見え隠れしているのだ。

ピアノとはまことに音域の広い楽器だ。

低音部と高音部を同時に弾いた時、ズレのない納得できる響きにならなくてはいけない。

平均律だと、低音のピッチは低めに、高音は高めに調律するのが普通。

しかしフェンダー・ローズはこれに当てはまらない。

今の時代、こんなことを知っている人間は少なくなったであろう。