《お知らせ》

 

 

当ブログの各テーマ別記事は、以下のリンク先に索引として一覧化しています。

(まだ着手したばかりで、作成途中段階です)

 

 

 

 

 

もし宜しければご利用になられてみて下さいね。

 

 

 

 

 


ご訪問くださり、本当にありがとうございます。

 

霊や生命について書かれています。

 

ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。

 

あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。

 

 

 

所要時間=5~7 分程 です。

ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。

 

 

 

1892年、ウィリアム・ステッドは自分に自動書記の能力があることを発見した。


その時、ジュリア・エイムズと名乗る死者がステッドの手を使って書き始めたのである。


ジュリア・エイムズはプロのジャーナリストであり、シカゴの『The Woman's Union Signal』誌の編集者でもあった。


エイムズは1891年12月に他界したが、彼女とステッドは友人であった。


彼女の一番の親友は、ステッドも知っているエレンという女性だった。


ジュリアは、エレンに死は終わりではなく、向かうべき出来事であり、

 

体は死んでも彼女は本当は死んでいないことを理解してもらうために、


自身の来世からの体験を伝えたいとステッドに語り、

 

1892年以降、それをずっとステッドの手を借りて "手紙" にて記し伝え続けた。


1893年、ステッドは「Borderland(ボーダーランド)」という心霊雑誌を創刊し、

 

それは、1897年まで続いたが、その中で「Letters from Julia」が初めて出版された。


1905年に出版された『After Death』と付いたタイトルの本は、イギリスやアメリカで大成功を収めた。

 

 

 『 After Death ; or Letters From Julia (1905年)  』 を翻訳サイトDeepLにて翻訳後、私にて全文確認しながら必要に応じて修正・加筆して記事化しました。

 

なお、拙ブログカテゴリ「ブルーアイランド」で霊界通信を送ってきているスピリットが、死後のウィリアム・ステッド氏です。

 

 

After Death ; or Letters From Julia

 

死後 ジュリアからの手紙

 

ウィリアム・トーマス・ステッド(William Thomas Stead)著

 

 

 

《  》 内 は私が追記しています。

原著の体裁を変更しています。

 

 

 
 
 

 

 

(上記の続きです)

 

 

 

LETTERS FROM JULIA
SECOND SERIES, TO THE WRITER. 

 

ジュリアからの手紙
セカンド・シリーズ、書き手へ

 

 

 

《ブログ管理者注記-以下、"私"とはジュリアを、"あなた"とは、著者のステッド氏を示します》

 

 

 

FRAGMENT
断片

 

 

ここでの人生とこれからの人生について

(以下の断片は1897年4月12日に書き始められた。

まだ完成していない。

《=ステッド氏》がこの文章を掲載したのは、主としてその結びの一節のためである)


THE TRUTH OF LIFE : HERE AND HEREAFTER.
人生の真理:こちら
《現世》とこれから先《来世》

 

 

By One Who Has Lived on Both Sides.

Life at Birth.

両側を生きた者によって

生まれたときの人生



1897年4月12日

人間が初めて生命を意識したとき、彼は純粋に動物的でした。

彼の中には神の息吹があるかもしれません。

しかし彼の意識は、動物的本性の欲求に限定されたものです。

飢えや渇きがあります。

暖かかったり寒かったりはしますが、これらのことを超えて、話す価値のある意識を何も持っていません。

私たちが理解するような視覚すらありません。

何故なら、視覚は生まれつきのものではないからです。

私たちは見ていますが、ある光景をどのように区別し、どのように形と結びつけるかを経験によって学ぶまでは、自分が見ているものを理解することはできません。

彼には耳は聞こえますが、聞こえてくるのは漠然とした雑音だけで、それぞれを区別することはできません。

しかし、それが生まれたばかりの子どもにとっての人生なのです。

飢えと寒さ、暖かさ、喉の渇きの感覚、肌が傷ついたり引っ掻かれたりすると苦しむ能力、そして光と音に対するある鈍い知覚。

それが人間にとってのこの世での人生の始まりです。

そこには比喩と寓意があります

 

 

 

 

 

A Parable and an Allegory.
比喩と寓意

 

 

というのも、五感の感覚を持つ幼児、純粋に初歩的な動物的意識を持つ幼児が、成長した人間にとって、プラトンにとって、シェイクスピアにとって、ニュートンにとってそうであるように、地上での発達の最高段階にある成長した人間は、肉体を離れてあの世の住人となったときになりうる姿なのですから。

あなた方が知っていること、感じていること、理解していることはすべて、物事の始まりにすぎないのです。

それは生まれたばかりの赤ん坊の単純な意識と厳密に対応したものです。

それは始まりであり、萌芽であり、これから起こることの予言であり、来るべきものの基礎であり土台なのです。
 

 

 

 

 

Difficulty of Explanation.
説明の難しさ

 

 

さて、成人した人がゆりかごの中の子供に哲学や科学の概念を説明するのは不可能であるのと同じように、あの世の人生に到達した私たちにとっても、人類の前にある、より充実した人生をあなた方に理解できるように説明することは不可能です。

それゆえ、私があなた方にこちら《現世》とこれから先《来世》の人生についての真理を語ると約束したとき、私が理解している真理をすべて語るという意味ではなく、ましてやこれから受け取るであろう真理をすべて語るという意味でもありません。

というのも、私たちはすべての真理を知り尽くすことはできないからです。

私が言えることはすべて2つの方法で条件づけられています。

第一に、私自身の知識の限界によって、第二に、あなた方自身が受け止め、理解する能力の可能性によってです。

しかし、これらの限界に従うことを前提に、私はあなた方が知ることが有益であり必要であるすべてのことを説明しましょう。
 

 

 

 

 

The Advantage of the Standpoint.
立ち位置の優位性

 

 

驚くような啓示があるわけではありません。

しかし、人生が私たちにどのように見えるか、今私たちに見えているように、そして将来あなた方にもそう見えるであろうことを知ることは、あなた方にとって役立つかもしれないと思っています。

自分のライフワークを、少し離れたところから、あるいは自分の外側から眺めることには、常に利点があります。

背後にある定点から自分が目指しているゴールまでの道のりを一瞥すれば、真実の線からの逸脱は少なくなります。

あなた方は常に道を踏み外す危険にさらされています。

大通りや通路を間違えたり、どこにも通じない脇道に迷い込んだりする可能性があります。

人生の問題は確かに、袋小路に迷い込んだり、前に進むのに役立たない悪賢い道に導かれたりする無駄を避けることです。

言い換えれば、あなた方がしなければならないことは、自分が向かっているポイントを見極め、そこに向かって粘り強く突き進むことです。

 

 

 

 

 

Prepare for That Which is to Come.
来るべきものに備えよ

 

 

あなた方は、使う能力のために力を蓄える必要があります。

将来必要とされない感覚を養うことに人生を費やすのは無駄なことです。

もしあなたが一生を海で過ごすことになったら、あなたを教育した人々の当然の義務は、あなたに船乗りの生活の準備をさせることでしょう。

そうして、あなたがこちら側に来たとき、最初に考えるのは、過去に費やしてきた人生の無駄についてでしょう。

機会の浪費、体力の浪費、成長の浪費・・・

生活の条件、存在の目的が、こちらでは、あまりにも異なっているため、多くの人にとっての第一印象は破産です。

彼らは財宝の蓄積に人生を費やしてきました、そして、反対側《=地上世界》の銀行の預金はこちら《=霊の世界》では引き出せず、彼らは愕然とします。


(私《=ステッド氏》は、これは虫が食い、さびで腐敗したり、泥棒が侵入して盗んだりしないところに宝を蓄えておくという古いテキストに過ぎないと反論した)


 

 

 

The Old, Old Story.

古い古い物語


ええ、私は知っています、そのことを教えるためにこちら側から出かけていった人たちによって、すでに何度も語られていないようなことを、私があなたに話すと思うのなら、それは大きな間違いです。

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝を蓄えてはならない」(マタイ 6章19節)とは、あなたもよく聞いたことがある格言です。

でも、あなたはそのことを守っているでしょうか?

私はただ、新たなアクセントでこの言葉を繰り返し、私たち全員の証言が同じであることを伝えるだけでいいのです。

目に見えないものこそ永遠であり、目に見えないものにこそ価値があるのです。

そして私の目的は、肉体にある生命を、こちら側に到達した後も存続するものに集中させ、死後に利益がなくなるものには集中させないように勧めることなのです。
 

 

 

 

 

 

(ジュリアからの手紙 (28) へ続きます)

 

 

 

(ブログ管理者注記)

 

 

原著では章立てがされていなかったため、拙ブログでもそのまま記載しました。

 

 

 

 

 

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました