《お知らせ》

 

 

当ブログの各テーマ別記事は、以下のリンク先に索引として一覧化しています。

(まだ着手したばかりで、作成途中段階です)

 

 

 

 

もし宜しければご利用になられてみて下さいね。

 

 

 

 

ご訪問くださり、本当にありがとうございます。


霊や生命について書かれています。


ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。


あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。

 

 

 

所要時間=5~7分程 です。

ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。

お読みになられる人によっては、心証をひどく害されるかもしれません。

お読みになられることが耐え難く、無理だと思われたのでしたら、すぐにおやめ下さい。

 

 


アラン・カルデック氏(フランス)の「スピリティズムによる福音」 (1864年)からの抜粋・編集です。

 

キリスト教におけるナザレ人イエスの教えについて、カルデック氏の指導霊団が、後世の人間が意図的に施した夾雑物を取り除きながら、その真の意味を判りやすく霊示されたものです。

 

本書には、スピリティズムの教義に基づいたキリストの道徳的原理の解説、並びに、日常生活での様々な場面におけるその応用が著されている。 

 

揺るがぬ信仰とは、人類のどの時代においても道理と真正面から立ち向かうことのできるものでなくてはならない。

 

 

(著述2ページ目より引用)

 

 

スピリティズム)

フランスではSpiritisme(スピリティスム)と呼ばれています。
イギリスでは、Spiritism(スピリティズム)、Spiritualism(スピリチュアリズム)などと呼ばれています。
スピリチュアリズム、スピリティズム、スピリティスム、霊実在主義、霊実在論、心霊主義・・・呼び方・ラベルは私自身も何でも良いと思っています。

所詮、ラベルでしかないからです

 

 

 

 

 

スピリティズムによる福音

 

 

以下より抜粋・編集しています。

 

 

第十一章 

自分を愛するように隣人を愛しなさい

その1

 

 
 
(上記の続きです)

 

 《  》 内の記述は私が追記しました。

 

 

 

 

 

 

最大の戒め
自分にして欲しいと思うことを他人に行う債権者と債務者の話

 

 

さて、イエスがサドカイ人たちを黙らせられたことを聞いたファリサイ人たちは、一団となって集まった。

そのうちの一人は律法学者であったが、イエスを試そうとして尋ねた。

「先生、律法のうちで最大の戒めとはなんですか」

イエスは答えられた。

「主であるあなたの神を、心から、全霊を込めて愛しなさい。

これが最も大切な第一の戒めです。

同様に第二の戒めは、自分を愛するように隣人を愛しなさい。

すべての律法がこれら二つの戒めにかかっており、また預言者も同様です」
(マタイ 第二十二章 三十四 ~ 四十)


そして、あなたが人々にそのようにして欲しいと思うことを、あなたも彼らにしてあげなければなりません。

なぜならそれが律法であり、預言者であるからです。
(マタイ 第七章 十二)



天の国は、王がしもべたちと勘定の清算をするようなところである。

勘定の清算がはじまると、一万タレントを借りていた者が現れた。

しかし、彼にはそれを支払うすべがなかったので、王はその人に、借金を支払えるように、その人自身とその妻子、またその所有する物すべてを売るように命じた。

そのしもべはひれ伏し、

「すべてお支払いしますから、どうぞお待ちください」

と懇願した。

すると王はその人を憐れに思い、その負債を免除し、自由にしてやった。

ところがそのしもべは出て行くと、自分に百デナリの借金をしていた仲間のしもべに出会ったので、その人ののどもとをつかみ、首を絞めつけながら、

「私に借りているものをみな返せ」

と言った。

その仲間の奴隷はひれ伏し、

「すべてお支払いしますから、どうぞお待ちください」

と言った。

しかし、それを聞こうともせず、負債をすべて支払うまでその人を獄にとじこめるように命じてしまった。

そのしもべの仲間たちは、この様子を見て心をいため、王にそのことを報告に行った。

すると王は、そのしもべを目の前に連れて来させて、

「邪悪なしもべよ、私はおまえが懇願したのですべての負債を取り消してやったのだ。

だから、おまえも自分の仲間のことを、私がおまえを憐れんでやったのと同じように憐んでやるべきではなかったのか」

と言い、大いに憤り、その負債をすべて支払うまで獄に閉じこめるように命じた。

あなたたち一人一人に対して兄弟が行った罪を心の底から赦すのでなければ、天におられる私の父もまた、あなたたちをこのようになさるでしょう。

(マタイ 第十八章 二十三 ― 三十五)

 

 

 

原著者カルデック・ノート

その1



「自分を愛するように隣人を愛しなさい。他人にして欲しいと思うことを他人のためにしてあげなさい」

ここには、慈善が最も完全な形で言い表されています。

なぜなら、これらの言葉には私たちが隣人に負う義務が要約されているからです。

他人にするべきことの基準として、この中にある、「自分自身にして欲しいこと」ということ以外に、これほど確実な基準は存在しません。

私たちは同胞に対して、私たちの彼らに対する献身、慈悲、寛大さ以上のものを、どうして強要することができるでしょうか。

この金言を実践することによってエゴイズムは破壊されます。

これらの言葉を人間が行動の基準とし、そのつくり出すあらゆる制度の基盤とすれば、真なる兄弟愛を理解し、平和と正義が人々を治めるようになるでしょう。

憎しみや不和はもはや存在しなくなり、調和、統合、相互の慈悲心が生まれることになるでしょう。

 

 

 

カエサルのものはカエサルに返しなさい


ファリサイ人たちは出て行くと、どうにかして言葉でイエスを混乱させようとたくらんだ。

そして使徒たちをヘロデ派の人々とともにイエスのもとに行かせ、このように言わせた。

「先生、あなたは真実によって、神の道を、その人が誰であるかにかかわらずに教えてくれることを知っています。

それでは、このことに対してどうお考えか教えてください。

私たちは税金をカエサルに納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」

しかし、イエスは彼らのたくらみに気づき、答えて言われた、

「偽善者たちよ、なぜ私を試そうとするのですか。

税金を支払う時に使う硬貨を私に見せてください」

そして1デナリの硬貨を見せると、イエスはこうお尋ねになった。

「この肖像と銘刻は誰のものですか」

彼らは、

「カエサルのものです」

と答えた。

するとイエスは、

「そうであるなら、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」

と言われた。

彼らはその答えを聞くと驚き、イエスをその場に残して立ち去った。
(マタイ 第二十二章 十五 ~ 二十二、マルコ 第十二章 十三 ~ 十七)



 

原著者カルデック・ノート

その2

 

 

イエスに対する質問は、ローマ人の課する税金を忌み嫌うユダヤ人が、その税金の支払いを宗教的な問題であるとした状況から生まれました。

多くの政党がその税金に反対して設立されていました。

その税金の支払いは、彼らの間では当時のいらだたしい問題となっていたのでした。

そうでもなければ、このような質問をイエスにすることはなかったでしょう。

「私たちは税金をカエサルに支払わなければならないのでしょうか、それとも支払わなくてもよいのでしょうか」

そこには罠がしかけられており、返答によって、ローマの権威か、ユダヤの異論者たちのいずれかが、イエスに対して逆らうことを期待して質問したのでした。

しかし、イエスはその悪意を知っており、それぞれの物が与えられるべき者に与えられなければならないのだという正義の教えを説き、この難題を切り抜けたのです。
(→序章、Ⅲ 「パブリカン(徴税官)」

 

しかし、「カエサルの物はカエサルに、神のものは神に返しなさい」というこの文は、厳密にまったく文字どおり理解されるべきではありません。

イエスのすべての教えの中にあるように、そこには特定の場合における実用的な形で大原則が要約されているのです。

この原則は、自分たちに対して行って欲しいと思うように他人に対して行わなければならないという、もう一つの教えの結果なのです。

その教えは、どのような道徳的・物質的損害を他人に与えることも、他人の利益を無視することもとがめています。

そして、みなが自分の権利を尊重して欲しいように、一人一人の持つ権利が尊重されるべきであるということを示しています。

一般に、個人に対しても、家族や社会、権威に対しても、このことは同じように広げて考えられます。

 

 

 

 

(自分を愛するように隣人を愛しなさい    (7-2)  へ続きます)

 

 

 

 

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました