《お知らせ》

 

当ブログの各テーマ別記事は、以下のリンク先に索引として一覧化しています。

(まだ着手したばかりで、作成途中段階です)

 

 

 

 

 

もし宜しければご利用になられてみて下さいね。

 

 

ご訪問くださり、本当にありがとうございます。


霊や生命について書かれています。


ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。


あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。

 

 

所要時間=4~6 分程 です。

ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。

 

 

 

 

日本のスピリチュアリズム(Spiritualism)の父とも言われる、浅野和三郎(あさの わさぶろう)氏 の著述、

 

『小櫻姫物語』(昭和12年出版:Amazon 電子書籍 『小桜姫物語03 小桜姫物語』)より抜粋・編集しています。(※)

 

約400年前(←この霊界通信を得た時点)、相州三浦新井城主の嫡男荒次郎義光の奥方としての人生を送られ、


この霊界通信の入神談話霊媒であるT女(=和三郎氏の妻の多慶子さん)の守護霊でもあった 小櫻姫(こざくらひめ)が、昭和4年春より約8年にわたって伝えてきて下さった 様々な "物語" の記録集です。

 

※:元は青空文庫のものです。

 

 

 

 

小櫻姫物語

 

《  》 内は私が追記しました。

原著の記述文字、体裁を変更しています。

 

 

 

 

 

 

 

以下はすべて、浅野和三郎氏が審神者(さにわ)兼筆録者となり、入神談話霊媒(=和三郎氏の妻の多慶子さん)を通して、小櫻姫が語られた内容です。

 

 

 

 

 

二十四、なさけの言葉

 

 

 

さっきも申し上げたとおり、私は小娘に導かれて、あの華麗(きれい)な日本間に通され、そして薄絹製(うすぎぬせい)の白の座布団を与えられて、それへ坐ったのでございますが、ふと自分の前面(まえ)のところを見ると、そこには別に一枚の花模様の厚い座布団が敷いてあるのに気づきました。


『きっと乙姫様がここへお坐りなさるのであろう』


私はそう思いながら、乙姫様に何と御挨拶を申し上げてよいか、いろいろと考え込んでおりました。

と、何やら人の気配を感じましたので頭をあげて見ますと、天から降ったか、地から湧いたか、もういつの間にやら一人の眩(まばゆ)いほど美しいお姫様がキチンと設(もう)けの座布団の上にお坐りになられて、にこやかに私のことを見守っておいでなさるのです。

私はこの時ほどびっくりしたことはめったにございませぬ。

私は急いで座布団を外して、両手をついて叩頭(おじぎ)をしたまま、しばらくは何と御挨拶の言葉も口から出ないのでした。

しかし、玉依姫様(たまよりひめさま)の方ではどこまでも打解(うちと)けた御様子で、尊い神様と申し上げるよりはむしろ高貴の若奥方(わかおくがた)と言ったお物越しで、いろいろと優しいお言葉をかけくださるのでした。


『あなたが竜宮へおいでなさることは、かねてからお通信(たより)がありましたので、こちらでもそれを楽しみにたいへんお待ちしていました。

今日はわたくしが代ってお逢いしますが、この次は姉君様が是非お目にかかるとの仰せでございます。

何事もすべてお心易(こころやす)く、一切の遠慮を棄てて、訊くべきことは訊き、語るべきことは語ってもらいます。

あなた方が地の世界に降(くだ)り、いろいろと現界の苦労をされるのも、つまりは深き神界のお仕組で、それがわたくし達にもまたとなき良い学問となるのです。

きけばどうやらあなたの現世の生活も、なかなか楽なものではなかったようで・・・』


いかにもしんみりと、溢るるばかりの同情をもって、何くれと話しかけてくださいますので、いつの間にやら私の方でも心の遠慮が除り去られ、ちょうど現世で親しい方と膝を交えて、打解けた気分でよもやまの物語に耽ると言ったようなことになりました。

帰幽以来何十年かになりますが、私がこんな打寛(うちくつろ)いだ、なごやかな気持を味わったのは実にこの時が最初でございました。

それから私は問われるままに、鎌倉の実家のこと、嫁入りした三浦家のこと、北條との戦闘(たたかい)のこと、落城後の侘住居(わびすまい)のことなど、ありのままにお話ししました。

玉依姫様(たまよりひめさま)は一々首肯(うなづ)きながら私の物語に熱心に耳を傾けてくだされ、最後に私が独りさびしく無念の涙に暮れながら若くて歿(なくな)ったことを申し上げますと、あの美しいお顔をばいとど曇らせて涙さえ浮べられました。


『それはまぁお気毒な・・・あなたも随分つらい修行をなさいました・・・』


たったひと言ではございますが、私はそれをきいて心からありがたいと思いました。

私の胸に積り積れる多年の鬱憤(うっぷん)もどうやらその御一言(ごいちごん)できれいに洗い去られたように思いました。


『こんなお優しい神様にお逢いすることができて、自分はなんと幸福な身の上であろう。

自分はこれから修行を積んで、こんな立派な神様のお相手をしてもあまり恥ずかしくないように、一時も早く心の垢を洗い浄めねばならない・・・』



私は心の底で固くそう決心したのでした。


 



 

(続く)

 

 

 

 

 

 

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました