《お知らせ》

 

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(まだ着手したばかりで、作成途中段階です)

 

 

 

 

 

 

もし宜しければご利用になられてみて下さいね。

 

 


ご訪問くださり、本当にありがとうございます。

 

霊や生命について書かれています。

 

ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。

 

あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。

 

 

 

所要時間=9~11分程 です。

ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。

 

 

 

グラスゴーの有名なダイレクト・ボイス霊媒である、ジョン・キャンベル・スローン氏とのシッティングの記録から419のエキスを抽出したエーテル世界への手引書。
 

 『 The Way of Life (初版は1952)  』 を翻訳サイトDeepLにて翻訳後、私にて全文確認しながら必要に応じて修正・加筆して記事化しました。

 

 

 

The Way of Life

 

J・アーサー・フィンドレイ(J. ARTHUR FINDLAY )著

 

 

 

 

PART TWO CHAPTER VI

THE PASSING OVER

 

第2部 第6章 

 

 

 

 

 

(上記の続きです)

 

 

《  》 内 は私が追記しています。

原著の体裁を変更しています。

 

 

 

以降、エーテリア、エーテリアンという言葉が頻繁に出てきますが、著者は、エーテル界(霊の世界)のことを、エーテリアEtheria と呼び、その住人たちのことをエーテリアンEtherian と呼んでいます

 

 

 

 

 

男女合わせて10人ほどの小さな集まりが、輪になって座っていました。

そしてその中央には、高さ2フィート強のアルミニウム製トランペットが2本ずつ置かれていました。

私たちは暗闇の中にいました。

会話は一般的なもので、その後に、より大きな調和を生み出し、大気を振動させるための賛美歌が続きました。

この賛美歌は、向こう側《=霊の世界》から来た人たちが、霊媒とシッターたちからエクトプラズムを集めるのに役立ちました。

エクトプラズムがなければ、声は聞こえないのです。

賛美歌が歌われた後、静寂が訪れました。

全員が期待して待っていました。

メモ係は、ノートと鉛筆を持って座り、彼らが話したときの声を記録する準備をしていました。

すると、静寂の中から男性の声が聞こえ、その場にいる誰かに話しかけ、私たちの普通の会話でするのと同じように返事をしました。

その声は話し手の名前を告げ、話し手は話しかけられた地上の人物を名指しで呼び、話し終わると、別の声が別の人物に話しかけ、同じように答えました。

彼等が誰であるかの認識を可能にするために、親密で証拠となる詳細が語られました。

こうして奇妙な会話が続きました。

あの世の男性、女性、子供たちは、私たちの大気を振動させるように発声器官を実体化させ、グラスゴーの家の小さな部屋に集まった友人たちと会話したのです。

再び短い静寂が訪れましたが、それは誰もが聞き覚えのある女性の声で破られました。

彼女は数年前に他界していましたが、私たちと別れる前からこのサークルのレギュラー・メンバーであり、その状況をよく知っていたので、以前は良くはっきりと簡単に話してくれました。

彼女はいつもご主人を「パパ」と呼んでいて、彼がその場にいたとき、私たちは皆、彼女が彼にこう言うのを聞いていました。


「親愛なるパパ、あなたが私の哀れな遺骨を墓地へ運んでくれたとき、私はあなたが来なければよかったと思いました。

私はそこにまったくいなかったからです。

もちろん、あなたはそのことを知っていました」



いいえ、彼女はそこにはいませんでしたが、肉体をその人として見るのはとても自然なことです。

なぜなら、肉体の感覚に訴えるのは私たちの身体の一部だけだからです。

私たちの感覚に影響を与えない部分、目に見えない部分は評価されません。

私たちの目に見えない部分は、死とともに肉体を離れ、複製されたエーテル体と調和する周波数で振動する別の環境で新しい人生を始めます。

その結果、肉体から離れた個人は、自分が去ったばかりの肉体と同じような身体に身を置き、自分が理解できる世界にいることに気づくのです。

彼の心mind、精神》は今、より高い振動higher vibrations に反応することができます。

なぜならそれは、肉体を持つ私たちが地上生活中の物理的環境に反応するのと同じように、彼の心が、新しい環境と調和する乗り物《=エーテル体》を得たからです。

ですから、新しい身体を除けば、私たちは外見も性格も地上にいたときと同じで、良くも悪くもないのです。

さて、この女性は遺されたご主人と友人たちに、肉眼では見えなくなったとはいえ、地上の肉体を離れる前と同じ人間であることを伝えるために戻ってきました。


またある時、シッターが亡くなった若い女性のことを話すと、ある声が地上にいた時の彼女の代弁者であると名乗り、大きな声で叫びました。


「そうです、でもあなたは、肉体の棺から出た美しい魂、純粋さと愛に満ちた魂を見ていないのです。

彼女は時折戻ってきては、あなたに語りかけているのですよ」



この世を去った友人たちを苦しめているのは、地上の多くの人々が彼らが墓の中で眠っていると思っていることです。

地上との交信が可能であることを知っている向こう側の人々は、その数は少ないものの、到着後できるだけ早く、自分が死んでいるのではなく、とても生き生きとしていることを地上の友人に伝えようとします。

そうであればこそ、その場にいた母親に話をするために戻ってきた少年の心の中にある思いを理解することができます。

彼は自分の名前を名乗り、自分と同じくこの世を去った父親についてこう語りました。


「僕たちがここにいることを喜んでね、僕たちは死んでなんかいないんだ」


「ボビー、それはわかってるわ」と母親が答えると、ボビーはこう続けました。


「でも、僕らがあの堤防の向こうのウェスト・キルブライドで横たわってるなんて、決して考えないで。

お母さん、僕はそこに行ったことがないんだ。

僕はあなたの心の中に、あなたの記憶の中に生きているんだよ。

 

そして影が去り、霧が立ち去ったとき、僕たちはここであなたを迎えるんだ。

親愛なるお母さん、あなたに見せたいこと、伝えたいことがたくさんあるんだよ」



また別の機会に、次のような保証が与えられました。


「ここからは、ほんの一歩なので、ドアを見つけるのは難しいことではありません。

私たちは見守っていますし、慈愛に満ちた手が岸辺であなたを迎えてくれるでしょう。

あなたは、私たちがあなたを愛し、いつもあなたのそばにいることを知っているでしょう」



 

これが、私たち全員がその領域を旅する上で踏み出さなければならない最初の一歩なのです。

私たちは、役目を終えた古い肉体を捨て、常に私たちの肉体に浸透し、その上で肉体が成長し発展するための構造体であったエーテルの複製体で生き続けるのです。

エーテル体は単なる推論や仮説ではなく、死によって肉体を離れる際に、透視能力者たちによって時折目撃されています。

有名な霊媒であるハドソン・タトルHudson Tuttle は、次のように死を透視しました。

彼自身の言葉で私たちにこう語っています。


霊的形態(霊体)はゆっくりと四肢から離れ、脳に集中していきました。

そうするにつれて、頭頂部から後光が生じ、それは次第に大きくなっていきました。

やがてそれは明瞭ではっきりしたものになり、私はそれが残された肉体とそっくりであることを観察しました。

それはますます高くなっていき、ついには、美しい霊が私たちの前に立ち、遺体はその下に横たわっていました。

わずかな紐が両者を繋いでいましたが、その紐は次第に細くなり、数分後には吸収され、霊は永遠に地上の神殿を去っていったのです。




古い身体と同じように新しい身体をコントロールする心の導きによって、私たちは頭頂部を通って地上の身体から抜け出し、2つの身体の間の短い紐が切れると、新しい環境に到着します。

古い環境は過ぎ去り、私たちは最早それらを感じなくなり、新しい人生が私たちの前に開かれるのです。

それが私たちにとって何を意味するかは、次の章で語られます。

この経験は、かつて地上に生きてきたすべての人に訪れたものであり、今地上に生きているすべての人とこれからこの地上で生きていくことになるすべての人に訪れるでしょう。

このことを私たちは知っています、なぜなら、かつて、その変化を遂げた者の声が、その場にいた人々に語ったからです。



「死は終わりではなく、始まりです。

もし自分の人生が、あるべき姿で過ごせたのなら、肉体を離れることは勝利の行進であると私は思っています。

もしそうであれば、それは人生の霊的側面への凱旋行進であり、それはどこまでも栄光の道なのです。

私が話しているのは、あなたのためであり、これまでと同じ私自身のためでもあります。


この世を去るまでの間に、自分には地上生活で果たすべき義務があることに気づき、それを果たせば、より明るく輝かしい生き方へと進むことができるでしょう。

私はこうして境界を越えて凱旋行進をしたのです。

あなたにもその時が来たら、そうなることを願っています。

こちらでは帳尻合わせがないことをご存知ですか?

あなたがこちらに来る前に、すべての帳尻合わせは済んでいますし、あなたが通って来た道、そしてあなたが通って来るべきだった道も、はっきりと示されているのです。

私は自分が常に正しい道
《=通って来るべきだった道》を歩んできたわけではないことを残念に思っています」



この言葉を発した声は、その昔グラスゴーで有名な銀行家であり、多くの尊敬を集めていた人物のものだと主張しました。

彼は、その場にいた、地上でもよく知っている紳士に自分の名前と地上の住所を告げ、一緒に行ったことについて話しました。

彼の言葉は、この本に記録されている多くの男性、女性、子供たちの言葉と同じように、ためらうことなくはっきりと正確に発せられました。


あるとき、地上では聖職者であったという人の声が聞こえてきました。

彼は自分の名前と地上の住所を名乗り、こう語りました。


「大切な人を亡くした、あるいは亡くしたと思っている人たちへ。

彼らの大切な人たちが人生の境界線を越えて、はるかに幸せな世界に行ったという知識をあなたと同じように得ることができますように。

神のご加護がありますように。

そして今、霊界にいる者たちの平安と祝福、友情と親交が地上の者たちとも交わり、彼らを励まし、人生の道を支え、彼らもまた、よりよいものへと歩みを進めるようになりますように」




かつてエーテル世界の場所location、位置》について質問されたとき、次のようなありふれた答えが返ってきました。


「霊界the Spirit World がどこにあるのか、気にしないで下さい、時が来れば、皆さん全員がそこにいるのです。

私が申し上げたいのは、皆さんの人生の側で、自分自身を準備することです。

そうすれば、皆さんは霊界に来たときに、相応の場所と相応の責任を負うことができるでしょう」



常に強調されるのは、私たち自身の個人的な責任であり、地上において私たちは来世の居場所を準備しているということです。

私たちは今、未来の条件condition、状態、状況》を作っているのです。



「私たちは地上での生活を覚えているのでしょうか?」

 

かつて、ある人が尋ねると、こんな答えが返ってきました。


「この世を去ったとき、ある程度まではすべてを覚えていますが、しかし、肉体の中で起こったことで、霊の側では自分のためにならないことは、次第に消え去っていきます」


では、私たちがこの世で最後に経験することは何でしょう?

これはある女性が別の機会に彼女の祖父から聞いた話ですが、祖父はそれが誰にでも起こることだとまでは言いませんでした。


「おまえが忘れてしまった過去の素敵なシーン、地上での生活のシーンが、パノラマのビジョンのようにおまえの目の前を通り過ぎ、すべてが再びよみがえるだろう。

多くの場合、それは最後の瞬間に、ただ死の関門を通り過ぎる人たちに明らかになることだ。

亡くなった人が、亡くなる直前に昔の光景を話していたという話を、周りの人から聞いたことがあるだろう。

それは、彼の目の前を通り過ぎるパノラマ的なビジョンにすぎなかった。

神のご加護がありますように、愛する人よ」




この世を去った後、すべての痛みと病気は置き去りにされます。

地上に残された人々との別離から後悔が生まれますが、新しい到着者は、すでに変化を遂げた友人たちによって迎えられます。

彼らにとって、この出来事は喜びなのです。

なぜなら、地上世界で悲しみを引き起こすものがエーテル世界では喜びをもたらすからです。

これはかつて出席した女性が言われたことです。


「調和と愛に鼓動する心の間に境界線はなく、人生の物質的な側面から霊的な側面への移行によって、両者が断ち切られることはありません。

そう、境界線はまったくないのです。

お嬢さん、あなたが最も愛してきた人たち、あなたの心に最も近い人たち、つまりそれは、あなたの地上生活での心という意味なのですが、あなたがこの世を去るとき、そうした人たちが、あなたのすぐ近くに来てくれるでしょう。

そして、彼らがもう地上を去ってどんなに時間が経っていても、あなたは彼らのことが分かるでしょう」



死、つまりエーテルの世界に到達することは、私たちが常にその世界にいたように、たとえそれを知らなかったとしても、広い空間を横断することではありません。

死とは、私たちが生きている振動に対する認識が変化することです。

それは、ラジオの番組を別の番組に切り替えるようなものです。

私たちのエーテル体は、私たちの周囲にあるより高い周波数の振動に反応するため、私たちがこの世を去るとき、最初は、地上で生きていたときと同じ場所にいます。

その後、意識と健康が戻ると、私たちは自分に適した界層plane、次元》に上昇しますが、しかし、最初のうちは、私たちを取り巻く環境がこの地上とあまりに似ているため、先に変化を遂げた友人たちに会うまで、自分が地上を去ったことを理解するのが難しいと感じる人もいます。

こうして彼らは、死は誰も恐れる必要のない経験であるという事実を理解するようになります。

死は痛みがなく、眠りにつくのと同じであり、友人たちが迎えてくれる美しい国で新しい身体で目覚めるのです。

私たちは皆、いつか素晴らしい経験をすることになりますが、それを知っているのは、ほんの一部の人だけです。

死とは何かを理解するまでは、人生とは何かを理解することはできません。

この書を読み進めていくと、この深い考えが理解できるでしょう。

 


 

 

 

( 『 The Way of Life 』(第7章)  へ続きます )

 

 

 

(ブログ管理者追記)

 

拙ブログで何度も繰り返しお伝えしていることではありますが、ここで語られている「死」についての明るい側面は、この人生で果たすべき責務を途中で放り出して自ら終止符を打ってしまったケースには当てはまりません。

 

くれぐれも誤解なきようにお願い致します。

 

 

 

 

 

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました