《お知らせ》

 

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ご訪問くださり、本当にありがとうございます。


霊や生命について書かれています。

 

ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。

 

あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。

 

 

所要時間=8~10 分程 です。

ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。

 

 

下記より抜粋・編集しています。

 

The Spirits’ Book New English Edition


アラン・カルデック

 「霊の書」 

第2部・第9章 

Intervention of Spirits in the Corporeal World

霊の肉体世界への介入

 

7. Presentiments 

(予感、虫の知らせ)

8. Influence of spirits on the events of life 

(人生の出来事に対する霊の影響)

 

 

Amazon Kindle本のハイライト化 ⇒ ハイライト部メモテキストコピー ⇒ 翻訳サイトDeepLでの和訳後、私にて全文確認しながら必要に応じて修正・加筆して記事化しました

 

 

◆は交霊会のカルデック氏による発言または思念による質問。
↓が通信霊の自動書記による回答内容


なお、通信霊として、聖ルイ、聖ヨハネ、パウロ、アウグスティヌス、ソクラテス、プラトン、スエーデンボルグ、真理の霊、等々が通信を送ってこられたようですが、原著では、どの霊が回答されているかは明記されていません。

 

《 》内の記述は私が追記しました。

原著の体裁を編集しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

(始)

 

 

 


予感は常に霊の守護者spirit protector からの警告なのですか?

予感は、あなたの幸福を願う霊からの親密で秘密めいた助言であることもあります。

また、以前に行った選択についての直感intuition 、本能の声the voice of instinct であることもあります。

転生する前に、霊はこれから起こる自分の存在の主な段階、つまり、どのような試練に耐えるかを知っています。

そのような試練が顕著な特徴を持つとき、彼はある種の印象を内なる意識に保存しますが、本能の声であるこの印象は、その瞬間が近づくと目覚め、いわゆる予感となるのです。
 

 

 


予感や本能の声というのは、常にどこか曖昧なものです。確信が持てないときはどうすればいいのでしょうか?

確信が持てないときは、あなたの善良なる霊を呼び起こすか、私たちすべての主である神に祈り、神の使者である私たち《=スピリット・ガイド》の一人を遣わすようにしなさい。




私たちのスピリット・ガイドの警告は、私たちの道徳的な行動だけに関係しているのでしょうか、それとも私生活のことに関する行動にも関係しているのでしょうか?

すべてです。

彼らは、あなた方が可能な限り最善の方法で生きることができるようにしようとしていますが、あなた方はしばしば彼らの善なる警告に耳を閉ざし、自分自身の過ちによって自分自身を不幸にしているのです。

 

 

 

<原著者カルデック・ノート>

 
私たちの守護霊protector spiritspirit protector は、良心の声を通して私たちに助言を与えてくれます。

しかし、私たちは守護霊を必ずしも重要視していないため、守護霊は私たちの周りの人々を通じて、より直接的な助言を与えてくれるのです。

私たちの人生における幸福な状況や不幸な状況をよく振り返ってみると、常に注意を払わなかった警告を何度も受けたことがわかりますが、もしそれに耳を傾けていれば、多くの困難は避けられたでしょう。
 
<以上、原著者ノート>
 
 
 

霊たちは人生の出来事に影響を及ぼすのでしょうか?

彼らは助言をしてくれるのですから、確かにそうです。
 
 
 

霊たちは彼らが示唆する思念以外の方法でこの影響力を行使しますか?

言い換えれば、彼らは人生の出来事の過程で直接的に作用するのでしょうか?

はい、しかし彼らは決して自然法則から外れた行動をすることはありません。
 
 
 
<原著者カルデック・ノート>
 
私たちは、霊の作用は特別な現象によってのみ現れるものだと誤解しています。

私たちは、霊が奇跡によって私たちを助けに来てくれることを望み、霊が魔法の杖のようなものを振り回している姿をいつも想像しています。

しかし、そうではないからこそ、彼らの介入は目に見えないように見え、彼らの介入によって成し遂げられることは完全に自然に見えるのです。

例えば、偶然出会ったかのように見える二人の場合、どちらか一方にある場所に行ってみようという思いを抱かせることで、偶然会わせるのです。

もしそれが霊たちの思い描く結果につながるのであれば、彼らは人間の注意を特定の問題に向けさせます。

そうすることで、人間は自分の衝動に従っただけだと信じながら、常に自由意志を保つことができるからです。
 
<以上、原著者ノート>
 
 
 

霊たちは物質に作用することができるので、特定の結果を引き起こすために特定の作用を引き起こすことができるのでしょうか?

例えば、人は死ぬことになっていますが、ある男が梯子に登り、梯子が壊れて死んだとします。

霊が梯子を壊し、その男の運命を成就させたのでしょうか?

霊が物質に影響を及ぼすのは確かですが、常に自然の法則に従っており、その法則に反する予期せぬ出来事を引き起こすことはありません。

あなたの言う例で言えば、梯子が壊れたのは木が腐っているか、男の体重を支えるだけの強度がなかったからです。

もしそのような死に方をするのが男の運命だとしたら、霊は彼に梯子を登ろうと思わせ、梯子が彼の体重で壊れることで彼は死ぬことになるでしょう。

したがって、彼の死は自然な原因によるものであり、そのために奇跡は必要ありません。
 
 
 

物質的な状況が関係しない別の例を見てみましょう。

ある男が雷に打たれて死ぬ運命にあり、木の下に避難しようとしましたが、雷が木に落ちて死んでしまいました。

霊が雷を誘発し、彼に向けたのでしょうか?

同じ状況です。

雷がその瞬間に木に落ちたのは、その出来事が自然の法則に従って起こったからです。

男が木の下にいたから雷が木に向けられたのではなく、雷が落ちる木の下に避難するように促されたのです。

男が木の下にいたかどうかに関係なく、木は雷に襲われたでしょう。
 
 
 

悪意のある男が銃弾を撃ち、別の男に狙いを定めましたが、それは外れました。

慈悲深い霊がその銃弾を逸らしたのでしょうか?

もしその人が撃たれるはずのない人であったなら、慈悲深い霊がその人を鼓舞して弾丸の軌道から外れるように考えたかもしれませんし、

あるいはその人の敵を混乱させるような方法でその人の射撃を外させたかもしれません。

しかし、いったん飛んでしまえば、弾丸は《自然法則に従って》その軌道に従わなければなりません。




ある伝説で言われている確実に標的に到達するはずの魔法の弾丸についてはどう考えるべきでしょうか?

それは全くの想像です。

人間は驚異を喜びますが、自然の驚異には決して満足しません。




人生の出来事へと導く霊が、それに反することを望む霊に邪魔されることはないのでしょうか?

神が望まれたことは、必ずそうなります。

遅れや障害があるとすれば、それは神のご意志によるものです。
 
 
 

軽薄で嘲笑的な霊が、私たちの計画を頓挫させ、計画を狂わせる多くの小さな困難を生み出さないでしょうか?

一言で言えば、私たちが一般に人間生活のささいなトラブルと呼んでいるものの責任は、彼らにあるのではないでしょうか?

彼らは、あなたの忍耐力を試すための試練であるそのような厄介ごとを引き起こすことに喜びを感じています。

しかし、あなたの失望をすべて彼らのせいにするのは正当でも正しくもありません。

このように、もしあなたが磁器を割ってしまったとしても、それは霊の作用によるものではなく、あなた自身の不器用さによるものである可能性が高いのです。




厄介ごとを引き起こす霊は、個人的な恨みからそのような行動をとるのでしょうか、それとも、決まった動機もなく、単に悪意から、最初に出会った人を攻撃するのでしょうか?

彼らは両方の理由で行動します。

現世や前世であなたが作った敵であり、その結果としてあなたを追いかけてくることもあります。

また、事前の動機がない場合もあります。
 
 
 

地上で私たちに危害を加えた存在たちの恨みは、彼らの肉体の生命とともに消滅するのでしょうか?

彼らはしばしば自分たちが犯した不正と過ちに気づきますが、神が許せば、さらにあなたを試すために、憎しみを込めてあなたを追い続けます。



私たちはそれに終止符を打つことができますか、できるとしたら、どのような手段で終わらせることができるのでしょうか?

そうです、彼らのために祈り、悪に対しては善を返すことによってです。

そうすれば、彼らは自分の間違いに気づくでしょう。

どのような場合でも、あなたが彼らの陰謀を乗り越える方法を知っていれば、彼らはあなたを苦しめても何も得られないとわかるとやめるでしょう。
 
 
 
<原著者カルデック・ノート>
 
経験上、ある種の霊は、ある存在から次の存在へと復讐心を持ち続け、遅かれ早かれ、人は自分が他人に与えたかもしれない危害を償わなければならないことを示しています。
 
<以上、原著者ノート>
 
 
 

霊には、特定の人々から苦難を遠ざけ、代わりに幸運を引き寄せる力がありますか?

完全にそうではありません。

なぜなら、摂理の計画には、不幸も含まれているからです。

しかし、彼らが忍耐と不屈の精神を身につけることで、苦痛を和らげることはできます。

また、神はあなたがそれを使えるように知性を与えてくださっているので、そのような苦難を回避するか、少なくとも軽減するのは、しばしばあなた自身にかかっているということを自覚してください。

このように、特に霊は有益な考えを示唆することによって、あなた方を助けるのですが、霊は自分自身を助ける方法を知っている者だけを助けるのです。

それが『求めよ、さらば与えられん、叩けよ、さらば開かれん』という言葉の意味です。-[d]

さらに、あなたには不幸に見えることが、必ずしもそうではないことを悟りなさい。

しばしば、その不幸に見えるものよりも遥かに優れた善いことが、そこからもたらされるのですが、それはあなたには理解できないことです。

なぜならあなたは今この瞬間、あるいは自分自身のことだけを考えているからです。
 
 
[d]マタイ7:7-8、ルカ11:9。
Seek, and you shall find; knock, and it shall be opened to you.
 
 
 

私たちが霊に願えば、霊は私たちが富を得られるようにしてくれるのでしょうか?

時には、試練として。《←富を得ることで経験する試練を与えるために》

しかし、たいていの場合、子供による軽率な要求を拒否するように、彼らはそれを拒否するでしょう。




そのような恩意を与えるのは、善霊ですか、それとも悪霊ですか?

どちらであろうと、すべては彼らの意図次第ですが、多くの場合、彼らはあなたを悪に導きたいと願っている霊であり、彼らは富がもたらす享楽の中にそうするための簡単な手段を見出すのです。




障害物が私たちの計画を致命的に妨害しているように見えるとき、それは霊の影響のせいでしょうか?

霊のせいであることもあります。

そうでない場合は、あなたの管理能力の低さが原因であることが多いものです。

地位や性格が大きな役割を果たすのであって、自分にふさわしくない道に固執するなら、霊はそれに関与しません。

あなた自身が邪悪な精霊になるのです。




私たちに幸運なことが起こったとき、守護霊に感謝すべきでしょうか?

何よりも神に感謝しなさい。神の許可なしには何も起こらないのですから。

そして神の代理人である善良な霊に感謝しなさい。




もし彼らに感謝するのを忘れたら、どうなるでしょうか?

それは、恩知らずの者がすることです。




とはいえ、祈りも感謝もしないのに、すべての努力を成功させる人はたくさんいます。

はい、でも最後まで見届けてください。

なぜなら、『多くを与えられた者は、多くを求められる』からです。-[e] 


[e] ルカ 12:8
from everyone who has been given much, much will be demanded.
 
 
 
 
 
 
 
 

( 霊の介入(8)へ続きます )

 

 
 
 

 

 

ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました