《お知らせ》

 

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霊や生命について書かれています。

 

ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。

 

あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。

 

 

 

所要時間=8~10分程 です。

ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。

 


 

1925年に世に発表された、G・V・オーエンの霊界通信本『 The Life Beyond the Veil - ベールの彼方の生活 』(全4巻)では、ベールの彼方・・・つまり、霊の世界の様相やその世界に生きるスピリットたちの生活・仕事の様子について、たくさん伝えられています。

 

 

 
(上記の続きです)

 

 

 

 

 

ベールの彼方の生活 第1巻

The Life Beyond the Veil Vol.1

 

 

六章 見えざる宇宙の科学

CHAPTER VI ASTRIEL’S MESSAGES

 

 

<訳者注>
本章は、これまでのオーエン氏の母親からの通信の中に時おり割り込む形で綴られた、アストリエルと名告る霊からの通信をまとめたものである。


<原著者オーエン氏ノート>
アストリエル霊のメッセージは数多く書かれているが、全体に連続性が見られない。
なぜかは判らない。
が、結果としては母の通信の合間に割って入るために、アストリエル霊自身の通信の連続性も破壊してしまう。
そこでアストリエル霊の通信は日付の順で出さずに、巻末の第6章にまとめて紹介する。

 

 

 

 

 

祈願成就の原理

 

 

なお、英語の原著をもとに私個人の判断で書き換えを行っている箇所があります。

《  》 内の記述は私が追記しました。

原著の体裁を編集しています。

 

 

 

 

(始)

 

 

1913年10月7日 火曜日

 

 

 

<アストリエル霊>

 

このたび初めて同行して来た他の人たちの協力を得て私はこれより、ベールのこちら側より観た "信仰" の価値the verities of the Faith について少しばかり述べてみたいと思う。

キリスト教の "信徒信条" the Creeds に盛り込まれた真理truths については今ここで多くを語るつもりはありません。

すでに多く語られ、それ以上の深いものを語るにはまだ人間側にそれを受け入れる用意が十分に出来ていないからである。

そこで吾々は差し当たってその問題については貴殿《=オーエン氏》の判断におまかせし、どの信条も解釈を誤らなければそれなりの真理が含まれている、と述べるに留めておきます。

そこで吾々としては現在の地上の人間があまり考察しようとしない問題を取り上げることにしたい。

その問題は、人間が真理の表面・・・根本真理でなく真理のうわべに過ぎないもの・・・についての論争を卒業した暁にかならず関心を向けることになるものである。

それを正しく理解すれば、いま人間が血眼になっている問題の多くがどうでもよい些細なことであることが判り、地上だけでなくこちらの世界でも通用する深い真理へ注意を向けることになるでしょう。

その一つが祈りと冥想の効用the efficacy of prayer and meditation の問題である。

貴殿はこの問題についてはすでに或る程度の教示を受けておられるが、吾々がそれに追加したいと思います。

祈りとは成就したいと思うことを要求するだけのものではない。
《↑Prayer is not merely the asking for something you wish to attain.

それより遥かに多くの要素をもつものです。

であるからには、これまでよりも慎重に考察されて然るべきものです。

祈りに実効を持たせるためには、その場かぎりの目先の事柄を避け、永遠不易のものに精神と霊を集中しなくてはならない。
《↑What you have to do in order to make prayer a power is to cast aside the temporal and fix your mind and spirit on the eternal.

そうすれば祈りの中に盛り込みたいと思っていた有象無象の頼みごとの大部分が視界から消え、より重大で巾広い問題が創造力の対象として浮かび上がって来る。

祈りにも現実的創造性があります。
《↑For prayer is really creative, 

例えば数匹の魚を五千人分に増やしたというイエスの奇跡(ヨハネ6)に見られるように、祈りは意志の行使the exercise of the will による創造的行為である。

その信念のもとに祈りを捧げれば、その祈りの対象が創造され、その結果として "祈りが叶えられる" ことになる。
《↑And when prayer is offered with this conviction, then the object is created, and the prayer is answered.

つまり主観的な願いに対し、現実的創造作業による客観的回答が与えられるのです。
《↑That is, the objective answers to the subjective in such a way 

祈りの方向が間違っている場合には、このようなことは起こりません。
《↑This does not happen when the prayer is wrongly directed.

放射された意志が目標物に当たらずに逸れてしまい、僅かに適中した分しか効果が得られないことになる。
《↑Then the projection of the will glances off at a tangent, and the effect is only proportionate to the scattered rays by which the objective is touched. 


さらに、その祈りに良からぬ魂胆《祈りにふさわしくない動機》が混入してもwhen the prayer is mixed with motives unworthy 効力が弱められ、こちら側から出す阻止力または規制力の働きかけを受けることになります。

どちらを受けるかはその動機次第ですが、いずれにせよ望みどおりの結果は得られません。


さて、こうしたことは人間にとっては取りとめのない話のように思えるかも知れませんが、吾々にとっては些かもそうではない。

実はこちらには祈りの守護者が任命されておりthere are appointed guardians of prayer here 、地上の人々によって捧げられた祈りを分析し選別して、幾つかの種類に区分けした上で次の担当部門に送る。

そこでさらに検討が加えられ、その価値評価に従って然るべく処理されているのです。

これを完璧に遂行するためには、地上の科学者が音と光のバイブレーションを研究するのと同じように祈りのバイブレーションを研究する必要があります。

例えば光線を分析して種類分けが出来るように祈りも種類分けが出来るのです。

そして科学者にもまだ扱い切れない光線が存在することが認識されているように、吾々のところへ届けられる祈りにも、こちらでの研究と知識の範囲を超えた深いトーンをもつものがあります。
《↑And as there are light-rays with which they are confessedly unable to deal, so many prayers present to us those deeper tones which are beyond the range of our study and knowledge.

それは更に高い界層の担当者に引き渡され、そこでの一段と高い叡智による処理にまかされる。
《↑These we pass on to those of higher grade, to be dealt with in their greater wisdom.

高等な祈りがすべて聖人君子からのものであると考えるのは禁物です。

往々にして無邪気な子供の祈りの中にそれが見出されます。

その訴え、その嘆きが、国家的規模の嘆願と同じ程度の慎重な検討を受けることすらあるのです。

「汝からの祈りも汝による善行も形見として神の御前に届けられるぞよ」
《↑“Thy prayers and thine alms are come up for a memorial before God.” 

天使がコルネリウス(Cornelius:ローマ教皇251-253)に告げたと言われるこの言葉をご存知であろう。

これは祈りと善行がその天使の前に形体をとって現われ、多分その天使自身を含む霊団によって高き世界へと届けられる実際の事実を述べたものであるが、これが理解されずに無視されています。
《↑They are often passed over without being understood as the literal description of those prayers and alms as they appeared to that Angel, and were passed on, probably by himself and his fellow workers, into the higher realms.


この言葉は次のように言い変えることができよう

"貴殿の祈りと善行は私が座長を勤める審議会に託され、その価値を正当に評価された。

吾人はこれを価値あるものと認め、吾人よりさらに上の界の審議官によりても殊のほか価値あるものとのご認知をいただいた。

依ってここに命を受けて参じたものである" と。


吾々はわざとお役所風に勿体ぶった言い方で述べましたが、こちらでの実際の事情を出来るだけ理解していただこうとの配慮からです。

以上の事実に照らしてバイブルに出ている祈りの奇跡の数々を吟味していただけば、吾々霊界の者が目のあたりにしている実在の相(すがた)をいくらか推察していただけるであろう。

そして大切なのは、祈りについて言えることがそのまま他のあまり感心できぬ心の働きにも当てはまるということです。

例えば憎しみや不純な心、貪欲、その他もろもろの精神的罪悪も、そちらでは目に見たり実感したりは出来ないでしょうが、こちらでは立派な形態をとって現われるのです。 

そしてこれらもまた、そのメリットに応じて扱われます。
《↑Hate and impurity and greed and other sins of the spirit and mind take on here a solidity which is not seen or realized in your sphere; and these also are dealt with according to their merits.

悲しいかな、天使は嘆くことを知らぬと思い込むような人間は、地上で苦しむ同胞に対して抱く吾々の心中をご存知ない。

神から授かれる魂の使用を誤っているが故に悩み苦しむ人々のために吾々がいかに心を砕いているかをご覧になれば、吾々に愛着を感じて下さると同時に、無闇に神格化してくれることもなくなるでしょう。


さて、この問題は貴殿がその価値をお認めになれば、あとはご自分でさらに深く考究していただくことにして、貴殿はもう少し通信を続けたいとのお気持なので、貴殿にとって興味もあり為にもなる別の話題を提供しようかと思います。

貴殿の教会の尖塔に風見鶏が付いております。

あれは貴殿があのような形にしようと決められたことは憶えておられることと思いますが、いかがであろう。


<オーエン氏>

今あなたから指摘されるまですっかり忘れておりました。

おっしゃる通りです。

建築家から何にするかと言われて魚と鶏のどっちにしようかと迷ったのですが、最終的には鶏にしました。

でも、そんなことが何の意味があるのでしょうか?


<アストリエル霊>

ごもっとも。

貴殿にとっては些細なことでしょうが、吾々の世界から見ていると、些細なことというのは滅多にないものです。

鶏の恰好をしたものがあの塔の先に付いている光景は実は五年前に貴殿の精神の中で起こったある活動の直接の結果です

一種の創造的産物というわけです。

こんな話を聞けばお笑いになる方も多いでしょうが、それは一向に構いません。

吾々の方から見ても人間のすることに苦笑することが多々あり、なぜ笑うのか理解に苦しまれるであろうことがあるものです。

貴殿が何気なく決めた時の貴殿が心に抱いた意味というのは、風見鶏を見ることによって信者の方に、ペテロが主イエスに反いたことを思い出してもらおうということでした。

思うに貴殿は今の時代に二度とペテロと同じ過ちを繰り返さぬようにその警告のつもりだったのでしょう。

しかし、ただそれだけの一見些細に思える決断が吾々の世界へ届き、吾々はそれを真剣に取りあげたのです。

申し上げますが、新らしく教会を建立するということは実はこちらの世界からの大いなる働きかけを誘う大事業です。

新らしい礼拝の場の建立ですから、礼拝に出席する霊、建物を管理する霊、等々じつに大勢の霊がそれぞれの役目を与えられてその遂行に当たります。

貴殿の同僚の中にはその様子を霊視した人がおられますが、その数はきわめて限られております。

牧師、会集、聖歌隊、等々のそれぞれの性格を考慮に入れ、吾々の中の最適の霊つまり指導する対象にとって最も相応しい霊を選出し、さらには建物の構造まで細かく配慮する。

象徴性はとくに念入りに検討します。

人間には気づかない重要な意味があるからです。

風見鶏もその意味で考慮したわけです。

話題としてはもっと大きなものを取り上げても良さそうですが、一見なんでもなさそうに思えるものにもちゃんとした意味があることをお教えしたくて、これを選んだわけです。

さて、シンボルとして貴殿が雄鶏を選んだからには、吾々としてもそれに応えて教会に何かを寄贈しようということになった。

それが吾々の習慣なのです、

そこで選ばれたのが例の鐘で、そのために聖歌隊の一人に浄財を集めさせたのです。

教会が完成して祝聖式が取り行われた時はまだ鐘は付いておりませんでした。

雄鶏は中空高く聳えていても、その口からは貴殿の目論む警告が発せられない。

そこで吾々がその "声" を雄鶏に与えたという次第です。

鐘の音が雄鶏の言葉・・・"夕べの祈り" の時も聞こえていた如く・・・です。

貴殿はこうしたことを霊界での幻想とでも思われますか?

ま、そういうことにでもしておきましょう。

でも、とにかくあの鐘のことは有難いと思われたのではないですか?


<オーエン氏>

それはもう、本当にうれしかったです。

この度の通信にもお礼申し上げます。

よろしかったらお名前を伺いたいのですが。


<アストリエル霊>

吾々は貴殿のご友人やご母堂が時おり訪れる領域から参った霊的奉仕者spiritual ministers です。

実はご母堂から吾々にもっと貴殿を身近に観察して、出来れば何かメッセージを送ってほしいとのご要望があった。

仲間の方といっしょに来られたのです。

私自身の発達段階について言わせていただけば、それはここにいる何人かのメンバーも一緒なのですが、貴殿と知り合えたことをうれしく思っています。


が、実は貴殿のことも教会の建立のことも、ご母堂からお聞きする前から知っておりました。


<オーエン氏>

御厚意に感謝いたします。

お名前をお聞きするのは失礼に当たりましょうか?


<アストリエル霊>

別に失礼ではありませんが、申し上げても貴殿はご存知ないし、その名前の意味も理解できないのではないかと思いますが。


<オーエン氏>

でも、よろしかったら是非お教え下さい。


<アストリエル霊>

アストリエル、神の祝福を 





<原著者オーエン氏ノート>

アストリエル霊は通信のおしまいに必ず十字架のサイン ✝ をした。





(終)

 

 

 


 


ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました