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ご訪問くださり、本当にありがとうございます。
霊や生命について書かれています。
ですから、興味がわかなかったり、読んでいてになられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。
あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。
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所要時間= 6~7分程 です。
ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。
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(序文より)
この小さなパンフレットは、エマニュエル・スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg)の偉大な著作、
『Heaven and Its Wonders and Hell 』 から編集されたものです。
この編纂は、スウェーデンボルグが明確に説いたあの世の真理《truths 》を、病身の人にもわかりやすく伝えるために始められたものです。
慣れ親しんだ真理をここで見ることにより、より一層好きになってもらえること、また、初めて知る人には、この大作についてもっと知りたいと思ってもらえることを信じて、このたび永久保存版として公開することにしました。
翻訳はジョン・カーティス・アガー(John Curtis Ager)のもので、スウェーデンボルグ財団から出版されたものです。
ここでは、一般の読者が、肉体の死後の人生に関する多くの疑問に答えることができる部分を選んでいます。
この大作について、翻訳者は次のようにコメントしています。
この書物のタイトルから、この書物は単に霊の世界の現象とその3つの異なる領域を扱っていると推測されるかもしれません。
しかし、その深い意味と目的においては、人間と人間の間の真の関係と秩序のない関係、あるいは天国の生活と地獄の生活が、
あらゆる人間の経験の中で表現されていることを示していることがわかるでしょう。
各段落の末尾にある数字は,元の著作における段落番号を示しています。
E. A. H.
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ブログ管理者注記
翻訳サイト DeepLにて和訳後、私にて全文確認し、必要に応じて加筆・修正しました。
《 》 内の記述は私が追記しました。
原著の体裁を変更しています。
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LIFE AFTER DEATH
BY
EMANUEL SWEDENBORG
(上記の続きです)
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HEAVENLY JOY AND HAPPINESS
天国の喜びと幸福
現在、天国とは何か、天国の喜びとは何かを知っている人はほとんどいません。
このテーマについて少しでも考えたことのある人は、このテーマについてあまりに一般的で、あまりに総体的な考えを持っていたので、ほとんど何の役にも立ちませんでした(395)。
すべての喜びは愛から生まれ、人は愛するものを喜びと感じるのです。
それ以外から喜びを感じる人はいません。
このことから、愛があればあるほど、喜びは大きいということになります。
肉体の喜びは、すべて自己愛《love of self 》と俗世愛《love of the world 》から生まれるもので、その結果、欲望とその快楽となります。
一方、魂や霊の喜びは、すべて主への愛と隣人への愛から生まれ、その結果、善と真理への愛着と内的な満足となるのです(396)。
天国はそのもの自体が喜びに満ちていて、それ自体を見れば祝福と喜びに他なりません。
なぜなら、主の神聖な愛から流れ出る神聖な善は、一般的に、特にそこにいるすべての人にとっての天国を作るものであり、神の愛は、すべての人の救いとすべての人の幸福を切望するものだからです(397)。
天国の喜びは、はかり知れないものであり、また数え切れないものです。
しかし、単なる肉体や肉の喜びの中にいる者は、これらの無数の喜びの一つも知ることはできませんし、信じることもできません(398)。
天国の喜びがどれほど大きいかは、天のすべての者が自分の喜びと祝福を他者と分かち合うことを喜びとしていることからわかります。
そして、このようなことが天にいるすべての者のキャラクター《character、性格、個性、人格・・・》であることから、天の喜びがどれほど測り知れないものであるかは明白なのです。
天国においては、すべての人がそれぞれと分かち合い、それぞれがすべての人と分かち合うことは前述したとおりです。
このような分かち合いは、天の二つの愛、すなわち、すでに述べたように、主への愛と隣人への愛から生まれるものであり、その喜びを分かち合うことは、これらの愛の本質なのです。
主への愛は、そのようなものです。
なぜなら、それはすべての人の幸福を望んでいるので、自分の持っているすべてのものをすべての人に分け与える愛だからです。
主を愛する者たち一人ひとりの中にも同様の愛があり、それは主が彼らの中におられるからであり、そこから天使の喜びを互いに分かち合うことが生まれるのです。
隣人に対する愛も同様であることは、この後に述べる通りです。
このことは、これらの愛がその喜びを分かち合うという性質を持っていることを示しています。
しかし、自己愛や俗世愛については、そうではありません。
自己愛は他者から奪い、他者からすべての喜びを奪い、それを自分自身に向けます。
自分だけが良ければいいと思っているからです。
一方、俗世愛は隣人のものを自分のものにしたいと願っています。
したがって、これらの愛は他人の喜びを破壊します。
あるいは、分かち合おうとする気運があるとすれば、それは自分のためであって、他人のためではありません (399)。
この世で採用されている意見から、天国の幸福は他の人に仕えられることによる怠惰な生活にあると信じている霊がいました。
しかし、彼らは幸福とは、仕事をやめてそこから満足を得ることでは決してないと言われました(403)。
自分は他の人よりもよく指導されていると思い、天国の喜びは神を賛美し、神に栄光をもたらすことのみから成り立ち、それが彼らの活動的な生活となるとこの世で信じてきたと言う霊がいました。
この人たちは、神をほめたたえ、栄光をもたらすことは、正しい活動的生活ではないこと、また、その代わりに役に立つことを実行することが神の意志であること、つまり、慈善行為と呼ばれる善行を行うべきことを教えられました。
しかし、天使たちは、この喜びは内的な愛情から来るものであり、言いようのない喜びと結びついているために最も自由であると証言しているのにもかかわらず、彼らは慈善行為と天国の喜びという考えを結びつけることができず、隷属の考えしか持てなかったのです(404)。
別の人生に入る者は、天国の祝福と幸福が何であるかをほとんど知りません。
なぜなら、彼らは内的な喜びが何であるかを知らず、その認識をもっぱら肉体的、世俗的な喜びや歓喜から得ているからです。
その結果、彼らが知らないものは何もないと思い込んでいるのですが、実際には肉体的、世俗的な喜びは内的な喜びに比べて何の意味もないものなのです(412)。
私は天国と天国の喜びの性質を学ぶために、主から頻繁に、そして長い間、天国の喜びの喜び《the delights of heavenly joys 》を感じ取ることを許されました。
しかし、私は生きた体験によってそれが何であるかを知ることができましたが、それを説明することはまったくできません。
私はまた、喜びと満足感が心の底から湧き上がってくるような気がしました・・・。
私は、自分の喜びをすべて他の人に移したい《transfer、伝えたい》と願ったとき、その代わりにもっと内面的で充実した喜びが絶えず流れ込み、これを願えば願うほど、より多く流れ込んでくることに気づき、これは主からのものだと認識したのです(413)。
天国にいる者は、生命の泉に向かって絶えず前進し、何千年も生きれば生きるほど、より楽しく幸せな泉に向かってより大きく前進するのです。
そして、その愛と慈愛と信仰の成長と程度に応じて増加しながら、永遠に続くのです。
年老いて死んだ女性も、主への信仰、隣人への慈愛、夫との幸福な結婚愛に生きていれば、年月の経過とともに、ますます青春の花、若かりし頃の女性へと進み、地上に見られるあらゆる美の概念を超える美しさに到達するのです・・・。
つまり、天国で年をとることは、若くなることなのです。
主への愛と隣人への慈愛に生きた者は、あの世でそのような姿や美しさになるのです(414)。
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ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました。
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