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ご訪問くださり、本当にありがとうございます。
霊や生命について書かれています。
ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。
あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。
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所要時間=9~11分程 です。
ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。
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Fifty Years a Medium
(Estelle Roberts )
CHAPTER THIRTEEN
WAR
第13章
戦争
その3
《 》 内 は私が追記しています。
原著の体裁を変更しています。
(上記の続きです)
*
このダイレクト・ボイスによる交霊会では、地上で《=生前に》著名人であった霊の交信者は、そのサークルの中の個人的な友人に対してでなければ話すことを許されない、というのがレッド・クラウドの不変のルールでした。
それゆえ、ある夜、レッド・クラウドが、
「ちょっと待って下さい!
これまでここに来たことのない、今夜の皆さんの個人的な知り合いでもないお客さんが来ました」
と言ったのを聞いたとき、シッターたちはちょっと驚きました。
それに続いて、少年のような声がトランペットから難しそうに発せられました。
「ハロー、そこの人! 聞こえますか?
コバー・カイン《Cobber' Kain、エドガー・ジェームズ・カイン》です」
その場にいた誰もが、コバー・カインのことを知っていました。
戦争の初期から、この若いニュージーランド人は空軍で飛行し、多くのドイツ機を撃墜して、偉大なエースの一人になっていました。
不幸なことに、彼は十分な休息を取ろうとした矢先、飛行機事故の犠牲者となったのです。
「聞こえるぞ、コバー」
サークルの人たちは一斉に答えました。
「シーグレイブ《=第9章参照》が連れてきてくれたのです。
彼は僕がここに来ることになると言いました。
僕は母と婚約者にメッセージを送りたいのです。
僕が戻ってきたこと、僕の愛を送ること、
そして僕は全く問題ないことを伝えてください」
トランペットは床に戻されました。
アイリス《=エステルの娘さんで秘書》は、なぜレッド・クラウドがこの有名な飛行士に、友人もいないサークルの中で話すことを許したのか知りたくなりました。
レッド・クラウドは答えました。
「彼はとても凛々しい紳士だったからです、
そして、愛のメッセージを送りたいという気持ちが強かったからです」
そのメッセージはすぐに届けられ、感謝して受け取られました。
*
戦争の大きな残酷さの一つは、愛する人が行方不明になったとき、家で待っている人たちが耐えなければならない、しばしば数日、数週間、数ヶ月に及ぶ苦痛の時間です。
私は、このような人間の不安な面をたくさん見てきました。
というのも、多くの親御さんや奥さんが、公式発表を待ちきれない様子で、私に何かできることはないかと相談に来られたからです。
あるとき、若い女性が新聞記者に連れられて私のところに来ました。
私は彼女の名前も、経歴も何も知らされていません。
彼女の服装には、喪章も連隊バッジもなく、来訪の理由を知る手がかりは何もないのです。
彼女は明らかに、事前の歓談で何も伝えないように注意深く教育されていました。
というのも、彼女は何も語らず、ただ頷くだけだったからです。
3人で席に着くと、彼女は小さな包みを私に渡しました。
後で聞いたところでは、彼女の夫が持っていた《軍用ではなく》一般用のネクタイが1本入っていました。
そのネクタイの放射は強烈で、視覚的でも聴覚的でもなく、肉体的でも心理的でもない、変化する印象の流れが私の心に溢れ、しかし、私はそれら《=印象》が正しいことだと確信したのです。
「B.N.というイニシャルがありますね」と私は言いました。
「今度はニコルズという名前です。
彼はあなたの夫です。
あなたはニコルズ夫人です。
今、私は別の名前を得ています。
それはニッキーです。
彼はあなたをニッキーと呼んでいます」
「それなら、きっと本当なんでしょうね、彼は本当に死んだのですね」とその訪問者は独り言のように話しました。
「ダンケルク《Dunkirk 》の船の上でした」と、私は彼女に言いました。
「その船は爆弾で沈みました、
彼はボートに乗れなかった大勢の一人でした。
他にもあります・・・ご主人の古い欠陥です。
彼はサッカーで怪我をして、片足を少し曲げて歩いていました。
昨夜、あなたは彼に話しかけました、声を出して言いました。
『あなたが本当に死んだのなら、明日にでもやって来て証明して下さい』と」
「はい」と彼女は泣きながら言いました。
「昨晩、寝るときに私はその言葉を祈りのように使っていました」
「他の証拠は正しいのですか?」私は彼女に尋ねました。
「私が知る限りでは、絶対にそうです。
私は彼をバディと呼び、彼にとって私はいつもニッキーでした」
「メッセージがあります」と私は付け加えました。
「彼はあなたに『不幸《unhappy、惨め》にならないで』と言っています。
彼はまた霊として戻ってくるでしょう」
「悲しまないようにします。
《彼の死を》知ったことで私は落ち着くでしょう。
知らないでいたので、とても怖かったのです」
*
また、「死亡したと思われる行方不明者」と報告された例として、忠実なスピリチュアリストの息子である若い飛行士がいます。
正式な死亡通知を受けるとすぐに両親がやってきて、私に霊界から何か情報を得るようにしてほしいと頼んできました。
私は難なく彼らの《霊界にいる》娘さんや他の亡くなった家族と《霊的に》コンタクトを取れたのですが、
全員《=霊界の娘さんや他の家族》が行方不明の少年には会っていないと断言しました。
飛行機が海に墜落したことは知っていたのですが、その瞬間から音信不通になったというのです。
これは、明らかにレッド・クラウドにとって問題でした。
しかし、彼はいつものように冷静沈着にこのことを受け止めました。
彼は、この青年が二つの世界の間で迷っているのだろうと説明し、"自分の振動を下げて"《to lower his own vibrations 》青年を探しに行くことを約束したのです。
2日後にも両親とのシッティングが持たれ、レッド・クラウドはまず私に入神《=トランス》したいと言いました。
私はそれに応じ、レッド・クラウドは事故の後何が起こったかを両親に説明しました。
彼らの息子は自分が "死んだ" ことに気づいておらず、任務を遂行するつもりで霊体となって基地に戻ってきたようでした。
レッド・クラウドが青年と連絡をとったとき、青年は最初、飛行場にいてもこれ以上何もできないということに納得ができず、そこを去ろうとはしなかったそうです。
しかし、両親と話す機会を与えるという約束で、レッド・クラウドはついに彼を説得したのです。
トランス状態から脱し、事の次第を聞かされた私は、よりによってスピリチュアリストの家族の一人が地縛霊になるとは奇妙なことです、と言いました。
彼の両親もそれに同意して、息子が家族の中でただ一人スピリチュアリズムを拒否していることが影響しているのかもしれないと言いました。
その後、ダイレクト・ボイス交霊会でレッド・クラウドに助けられ、青年はトランペットを通して話し、
彼が地上に残した文書の存在と両親がそれをどのように扱っているかを説明すことによって、彼が霊の世界に存在することの決定的な証拠を示したのでした。
*
私たちの戦時中のダイレクト・ボイスによる交霊会は、トランペットを通して聞こえてくる声の大部分が若々しかったことが大きな特徴でした。
両親や友人たちが、個人のその声の質からはっきりと識別できたのは、ほんの数回だけでしたが、ほとんどの場合、特徴的なアクセントが聞いて取れるのです。
例えば、スティーブン・コーエンの柔らかい教養のある声は、非常にはっきりとしていました。
インドの病院で亡くなったスティーブンは、母親と話すとき、自分の寿命を縮めたのは "虫" だったと悔やみました。
「軍人らしくない死に方だったね」と、彼は少し残念そうに締めくくったのです。
自分で髪をとかすことができるようになったのに、いつまでも母親が自分の髪をとかし続けるのを冗談交じりに諌めるときのアイルランド語の訛りは、紛れもなくマイケル・ヒューズのものでした。
そして、1941年に行方不明になった23歳の若い兵士、スタンレー・バージェスの北国訛りもその例の一つです。
スタンレーには特別な名声や魅力はありませんでしたが、他の何千人もの勇敢な男たちと同じように、彼は国のために自分のすべてを捧げたのです。
彼が私たちの仲間になった経緯は、数年前のベッシー・マニングと似ていなくもありません。
それは1943年12月、レッド・クラウドがダイレクト・ボイスによるシッティングで次のように言った時でした。
「両親も友人もいない青年がここにいます。
彼は母親と連絡を取りたがっています。
母親は金持ちではないので、このサークルから遠く離れた距離を移動することはできません。
彼はあなた方の助けを求めています。
待ってください!」
そのとき一瞬の間があった後、トランペットから声が発せられるのが聞こえました。
「僕はスタンリー・バージェスです。
僕はクレタ島で負傷しました。
僕の母は泣いて泣いています。
母はあなたの新聞を読んでいて、僕に『何とかしておくれ』と懇願しているのが聞こえます。
僕は試してみましたが、母とコンタクトを取ることができません。
僕は元気で、海軍の兄を助けるためにできることをしていると知ってほしいのです」
その霊の話し手が言及したスピリチュアリストの新聞の編集者であるモーリス・バーバネルが口を挟みました。
「私たちはあなたを助けますが、あなたのお母さんがどこに住んでいるのか教えてください」
しかし、その返答は困難を伴うものでした。
「住所は、グランジロード, ラヒース, R-U-D-H-E-A-T-H です」
ここで、スタンレーが助けを求める間、メッセージはストップしました。
そして、こう続けました。
「チェシャー州 ノースウィッチです。
母に悲しまないでと伝えてください。
母がもし悲しまずにいてくれるのなら、僕は幸せになると伝えてください。
皆さん、どうもありがとうございました」
翌朝、バーバネルはバージェス夫人に電報を打ち、簡単に事実関係を説明し、詳しい内容を伝えるために手紙を出したことを告げました。
彼は、その謝辞の電報を受け取り、そして、その数日後、彼女の息子から受け取った情報を裏付けるような、長い手紙が届きました。
「本当に言葉では言い表せない気持ちです」と彼女は書いています。
「素晴らしいことです。
不安な気持ちでたまらなかったのですが、今はその重荷は取り除かれました。
私が泣きながら写真に向かって話している姿を、息子はきっと見ていたに違いありません。
私たちはお互いに世界のすべてであり、私は彼がどこにいるか教えてくれるように絶え間なく祈り続けてきました。
彼が亡くなったと知った今、私はもう悲しむことはないでしょう。
彼にはぜひ幸せになってほしいのです」
この手紙を受け取ったバーバネルは、寛大にもバージェス夫人をロンドンまで手配してくれました。
彼は夫人を私のところに連れてきて、スタンレーは彼女にダイレクト・ボイスで話をしました。
彼のアクセントは、いかにも北国らしいものでした。
「お母さん、あなたと話せてうれしいよ」と彼は言いました。
「これで僕が死ななかったことが分かるね。僕たちは誰も死なないんだ」
彼は自分の死に関して、悲惨な描写ではなく、家族の関心事として明るく話し続けました。
それが終わると、バージェス夫人はこう言いました。
「私は生きている限り、このことを決して忘れることはないでしょう。
今日は私の人生の中で最も幸せな思い出の一つとして残るでしょう」
(13-4 へ続きます)
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ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました
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