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ご訪問くださり、本当にありがとうございます。
霊や生命について書かれています。
ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。
あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。
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所要時間=4~5分程 です。
ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。
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日本のスピリチュアリズム(Spiritualism)の父とも言われる、浅野和三郎(あさの わさぶろう)氏が、
妻の多慶子さんを霊媒として、他界した次男の新樹さんから受け取った数々の霊界通信をもとに、
『新樹の通信』として昭和11年に出版した著述より抜粋・編集しています。
なお、拙ブログでは以下のサイトより著述を参照、編集しており、
原著の旧漢字は改められるだけ新漢字に変更しております。
【国立科学図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/ 】
『浅野和三郎 新樹の通信(その三)心霊科学研究会』(インターネット公開版)
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(上記の続きです)
新樹の通信
3.幽界人の富士登山 (その1)
今回はすべて新樹さんからの通信です。
《 》 内は私が追記しました。
原著の体裁を変更しています。
(始)
ある日、母の守護霊さんから、
「近いうちにあなたの母さんについて富士登山をするから、あなたもご一緒になすっては。」
との通信がありました。
《↑新樹の母はこの通信の霊媒となっている人で、この時はまだ現世で存命中です》
僕は生前に一度も富士登山ができずにこちらの世界へ引越してしまった人間なので、
この勧誘には、少なからず感興を催しましたが、自分でもいろいろ考え、
また僕の守護霊とも篤(とく)と相談した結果、
母の一行とは別に、僕たち二人きり《=新樹と彼の守護霊》で出掛けることに話がまとまりました。
人間の身体に憑(かか)って登山すれば、俗界の事情はよく判るかもしれないが、
それでは自然幽界の事情にはうとくなり、これもあまり感心しない。
この際むしろ、純粋の幽界人として富士山の内面観察を試みることにしようというのが、僕たちの眼目だったのです。
従って僕たちの方が、母の登山よりも却って二・三日早くなりました。
何しろこちらの世界の仕事は、至極手取り早く、思い立ったが吉日で、
現世の人間にように、ヤレ旅仕度だ、ヤレ時日の打合せだ、
といったような面倒くさい事は、ひとつもないのですからね。
ところで、僕の守護霊さんもやはり僕と同じく、生前一度も登山の経験がなかった人です。
そこで今度は思う存分に、登山気分を味わうべく、
二人ともせめて現世の人間らしい格好を造って行こうではないかということになりました。
念のために、その事を《新樹の》指導役《=指導霊》のお爺さんに申し上げると、
「それは面白いことだ。身体を造って登ることも、確かに一理あるように思う。」
と大変に力をつけてくれました。
まず僕たちは服装の相談をしました。
僕はやはり洋服姿で出掛けるつもりでいると、守護霊さんはしきりに白衣を着るがよいと勧めました。
<新樹の守護霊>
霊峰に登るには、洋服などは可けない。
頂上には尊い神様もお鎮りになっておられる。
これは是非清らかな白装束でなければなるまい。
僕は抗議を申し立てました。
<新樹>
あなたは白装束になさるが宜しいでしょうが。
僕は生まれた時代が違いますから、洋服で差し支えないと思います。
洋服にしないと、僕はどうも登山気分が出ないのです。
まさか洋服を着ても、罰は当たらないでしょう。
とうとう僕は、日頃愛用の洋服を着て行くことにしました。
靴は軽い編上げ、脚にはゲートル、頭には鳥打帽という、すこぶるモダンな軽装です。
守護霊さんは、これはもちろん徳川式、
白衣を裾短かにからげ、白の脚絆に白の手甲、頭には竹笠といった、純然たる参詣姿です。
「こりゃ大分不似合いな道連れじゃ・・・。」
守護霊さんは見比べながら、しきりに可笑しがっておられました。
さていよいよ出掛けようとした時に、僕はふと金剛杖のことを思いつきました。
「仮にも身体を造って山に登る以上、別にくたびれはしないとしても、一本杖が要りますね。」
そう僕が発議すると、守護霊さんも、
「なるほど、そういうものがあった方がよいであろう。」
ということになり、そこで、早速《新樹の指導霊の》お爺さんにお願いし、
めいめいに一本ずつ杖を取り寄せてもらいました。
「この杖はありがたいもので、ただ一概に木の棒と思っては良くないぞ。」
とお爺さんから注意がありました。
<新樹の指導霊のお爺さん>
これは魔除けになるもので、そち達にもやはりこれがあった方がよいのじゃ。
うっかりして悪霊に襲われぬとも限らぬからナ・・・。
他にも僕たちが身に付けたものがありました。
それが例の楽器で・・・。
守護霊さんがいつも愛用の横笛を帯に差し込み、
また僕はハーモニカをポケットに忍ばせました。
何しろ僕たちは、遊山と言うよりも、むしろ修行に出掛ける意気込みですから、
期せずして二人の心は日頃精神を打ち込んでいる仕事に向かった訳なのです。
(3.幽界人の富士登山 (その2)へ続きます)
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ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました
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