ご訪問くださり、本当にありがとうございます。


霊や生命について書かれています。


ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。


あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。

 

 

所要時間=8~10 分程です。

ご関心があればお時間のある時にでも、ゆっくりとお読みになられて下さい。

 

 

以下は全て【ハンネン・スワッファー・ホームサークル(英国 1930~1981)】の交霊会における霊団の支配霊シルバーバーチの霊言です。

 

以下より抜粋・編集しました。


シルバー・バーチの霊訓

 (十一)六章

 「霊界でも祝うクリスマスとイースター~その本来の意味」

 

 

《  》 内の記述は私が追記しました。

原著の体裁を編集しています。

 

 

(始)

 

 

クリスマスもイースターも本来は宗教的祭礼であるが、

 

今では物質的観念に汚染されてその基本的な光彩をすっかり失っている。


本書で紹介する講演でシルバーバーチはその本来の意義を説明し、

 

それが霊界においてどのように祝われているかを語っている。

 

シルバーバーチらしく最後は、狼と小羊とがいっしょに寝そべるような平和、


つまり地上天国という理想を説き、


そのためには人類が愛と哀れみと慈悲と責任意識を持たねばならないことを力説している。

 

 


<シルバーバーチ霊>

私たち地上の霊的啓蒙活動に従事している霊団の指導的立場にある者は、

 

キリスト教でいうクリスマスとイースターに相当する時期に、

 

霊界の奥深く帰還する習わしになっております。


ご承知の通りその二つの祝祭はキリスト教よりさかのぼる太古において、


一年を通じての太陽の勢いの変化を神の働きかけの象徴と受けとめたことがその起源です。


太古において太陽がその輝きを最高度に発揮する時期、夏至 (六月下旬、旧暦五月中旬)が、

 

"復活"(よみがえり)の時、


つまり大自然が讃歌を奏で、見事な美しさを披露する時とみなされました。


言いかえれば、蒔かれたタネがその頃に華麗なる成長を遂げると考えたのです。


それに呼応して冬至(十二月下旬、旧暦一月中旬)があります。


最高の輝きを見せた太陽が衰えはじめると、

 

大自然はエネルギーを蓄え、

 

根を肥やしながら季節の一巡の終わりを迎えると考えたのです。


来るべき夏至にその成長ぶりを披露するのに備えるというわけです。


そういうわけでクリスマスは、

 

永い一年のめぐりの終わりであると同時に、


太陽の誕生、新たなる生命が地上へ誕生する


その最初の兆しを見せる時期 だと、太古の人は考えました。


この二つの時期《=冬至、夏至/クリスマス、イースター》は、

 

太古において大切な意味をもっておりました。


と申しますのは、"神のお告げ" はその二つの時期に授けられると信じられたからです。


あなたがた現代人は太陽のもつ神秘的な影響力をご存知ありません。


太古の人はその時期に今でいう交霊会を何日にもわたって大々的に催したものでした。


その時期にたっぷりと啓示を頂いたのです。


そこで私たち霊団の指導的役割を担う者は、

 

誕生に相当する人生で最も大切なこの時期(クリスマス)に一堂に会して祝い合うのです。


その始まりは太陽の影響力への讃美ということでしたが、


それは一種の象徴(シンボル)であり、


実質的には生命が他の生命へ及ぼす影響力、


物質が他の物質へ及ぼす影響力、


惑星が他の惑星へ及ぼす影響力、


などが含まれております。


とくに一年のこの時期が選ばれたのは、


私たちに協力してくれている霊たちの地上時代に属していた民族が、


大自然の摂理を基盤とした宗教をもっていたからです。


古い時代の私たちにとっては太陽の誕生の祝いが最大の祝いでした。


それは新しい年の始まりにほかならないからです。


四季のめぐりの終わりであると同時に新しいめぐりの始まりでもあるわけです。


そうした祝いがかつて地上で催されていたことから、これを霊界でも祝うことになりました。


もとより、今では霊的な意味をもつようになっております。


つまり新しい生命の誕生を祝うのではなく、


地上からいったん引き上げて、


新しい光を地上へもたらすために霊力の回復を図ることを目的としております。


今この仕事に従事している霊団の者は、


地上時代は西洋文明を知らない古い民族に属していましたから、


(キリスト教的な祝い方と違って)この時期を

 

地上から引きげて私たちの本来の所属界へ帰還する機会としております。


帰還すると評議会のようなものを開き、


互いに自分たちの霊団の経過報告をし、


どこまで計画通りに行き、


どこが計画通りに行っていないかを検討し合います。


それとともに新たな計画を討議し合います。


私たちを地上へ派遣した神庁の方々とお会いするのもその時です。


その中に、かのナザレのイエスの雄姿があるのです。


イエスは今なお人類に古来の大真理すなわち、


 "愛は摂理の成就なり"


を教える大事業にたずさわっておられます。


そのイエスが私たちの業績に逐一通じておられるお言葉を述べられ、


新たな力、新たな希望、新たなビジョン、新たな目的をもって邁進するようにと励まして下さる時の、


そのお姿、そのお声、その偉大なる愛を、


願わくば皆さんにも拝し聞きそして感じ取らせてあげられればと思うのですが・・・。


もとよりそれはキリスト教によって神の座に祭り上げられているイエスではありません。


《イエスは》数知れない道具を通して人類に働きかけておられる、一個の偉大なる霊なのです。


《私が》その本来の界に留まっているのは短い期間ですが、


私はその間に改めて生命力あふれる霊力、力強さと美しさにあふれるエネルギーに浸ります。


それに浸ると、生命とは何かがしみじみと感じ取れるのです。


私はそのことをあくまで謙虚な気持であるがままに申し上げているつもりです。


見栄を張る気持ちなど、ひとかけらもございません。


仮に《地上における》世界最高の絵画のすべて、


物質界最高のインスピレーションと芸術的手腕、


それに大自然の深くかつ壮大な美を全部集めて一つにまとめてみても、


私の本来の所属界の荘厳美麗な実在にくらべれば、


至ってお粗末な反映ていどのものでしかありません。


芸術家がインスピレーションに浸ると、


手持ちの絵具ではとても表現できそうにないことを痛感して、


魂で感じ取ったその豊かな美しさを表現するための色彩を求めます。


が、それは地上のどこにも存在しません。


霊的な真理と美しさは物的なものでは表現できないのです


そうした界層での私の霊的な高揚状態がどうして言語などで表現できましょう。


《本来の所属界にいる私たちは》大霊《=神》の光輝を全身から放っている存在となっているのです。


叡智と理解力と慈悲と優しさに満ち、


人間の側から訴えられる前にすべてを察知し、


心の中を読み取り、


心の動きに通じ、


成功も失敗も知り尽くしております。


すべての宗教の根幹であり、イエスの教えの集約でもある、


かの愛の名言、"愛とは摂理の成就なり" は、


全生命の主、無限の創造者たる大霊《=神》の名において、

 

私たちもその真実性を宣言するものです。


かくして私たちは本来の霊的状態へ戻り、


本来の環境である光彩と喜びと光輝と笑いと豊かさと崇高さと荘厳さを味わいます。


その中に浸り、その喜びを味わい、


私たちにとってはごく当たり前の状態である壮観を取り戻します。


それが私たちのお祝いです。

 

《イエスから》助言を頂き、感激を味わい、気分を一新し、元気百倍し、


心身ともにすっかり生き返った私たちは、


やおらこの冷ややかで陰うつでじめじめとして味けない、


暗い地上世界へと赴き、


厚く包み込むそのモヤと霧を払い、


真理の光を輝かせるための仕事を再開します。

 

 

地上のクリスマスシーズンにも愛の精神の発露が見られないわけではありません。


それが親切と寛容の形をとり、


また施しの精神となって表現されております。


旧交を温め、縁を確認し合い、


離ればなれになった者が一堂に会するということの中にもそれが見られ、


又、かつての恨みはもう忘れようという決意をさせることにもなります。

 

 

しかし残念でならないのは


それに先立って

 

大量の動物が殺害されることです。


物言わぬ神の子が

 

無益な犠牲とされていることです。


"平和の君" キリストの誕生が


そうした恐ろしい虐殺によって祝われるということは


何と悲しいことでしょう。


なぜ平和を祝うために

 

もない動物の血が流されねばならないのでしょう。


これはまさに地上世界の磔刑(はりつけ)です。


罪なき動物に流血の犠牲を強いて平和を祝うとは・・・。

 

 

いつの日か愛と哀れみと慈悲と責任感とが人間を動かし、


助けを求める動物たちへの態度を改めることになるでしょう。


そうした資質が発揮されるようになってはじめて、


罪もない動物への容赦ない流血と残酷と無益な実験も行われなくなることでしょう。


地上に真実の平和が訪れ、


狼が小羊と並んで寝そべることになりましょう。

 

 

 

 

(終)

 

 

 

 

 

(ブログ管理者追記)

 

 

赤太文字のメッセージは、一昨日の記事で、

 

地球は宇宙の惑星の中で最も進化の程度の低い部類に属します。

 

と教えられていることの大きな理由の一つです。

 

大切な家族の一員として愛情を注がれ、


人間と一緒に暮らして一生を終える動物たちがいる一方で、


人間の食料として飼育され、屠殺されたり、


医療の向上・医薬品の開発のために実験材料となって短い苦しい生涯を終える、痛ましい動物たちがいます。

 

シルバーバーチ霊が言うには、

 

動物たちは人間とは異なり、


個々の動物一頭、一匹、一羽・・・ごとに因果律が働くのではなく、


地上時代における体験の類似性によって、

 

死後に赴く魂のグループが変わっていて、

 

その魂のグループごとに、因果律が働くと説いています。


簡単に言ってしまってはいけませんが、

 

例えば、同じ犬の種族であっても、


動物実験で苦しんだ犬、食用のために飼育・屠殺された犬などの、人間からの愛を受け取ることなく、苦痛を受けた犬たちと、


人間に可愛がられた犬たちの類魂は、

 

実際には私の示した、こんな簡単な区分けではないと思いますが、
 

全く異なるグループの魂の集団(グループ・スピリット)として

 

それぞれに異なる埋め合わせの原理が働くということです。


動物たちは、人間の実験・研究材料であったり、食料となるために、神霊に創造されたわけではありません。


人間には同胞の生命を奪う権利が無いのと同様に、動物たちの生命を奪う権利もありません。


七面鳥であろうとニワトリであろうとであろうとであろうと、


彼らにも彼らなりの立派な固有の "意識" があります。

 

せめて、今夜くらいは、
 

日頃、そんなことを思いも考えもされなかった人たちも、


人間の犠牲となって亡くなっていった動物たちの類魂へ


想いを馳せて、


祈りを捧げてあげられてみては・・・


と思うのです。

 

どうか優しいイブの一日を♪

 


 


ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました