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ご訪問くださり、本当にありがとうございます。
霊や生命について書かれています。
ですから、興味がわかなかったり、読んでいて不愉快になられるのなら、迷わずにスルーされて下さいね。
あなたの大切なお時間を無駄にしたくありません。
この記事は地上世界での「死」について、霊界側ではどう見ているか?という霊言です。
タイトルの「死者からのメッセージ」の「死者」とは、シルバー・バーチ霊のことです。
お読みになられる人によっては、その心証をひどく害するかもしれません。
お読みになられることが無理だと思われたのでしたら、すぐにおやめ下さい。
なお、利己的な動機による自死や利己的な人生を送った場合の死などには、以下の霊言はそのまま当てはまりません。
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以下は全て【ハンネン・スワッファー・ホームサークル(英国 1930~1981)】の交霊会における霊団の支配霊シルバーバーチの霊言です。
お断り: 《 》 内の記述は私が追記しました。
以下より抜粋・編集しております。
(過去記事と一部重複しています)
シルバー・バーチの霊訓 (四)五章 「死んだらどうなるか」
(始)
~他界した身内の者や友人・知人は姿こそ見えなくても、地上にいた時より一層身近な存在となっていることを説いて、こう述べる。
その方たちは今なお実在の人物であり、地上にいた時と同じように、あなた方のことを気遣ってくれていることを忘れてはなりません。
彼らはもはや、言葉で話しかけることはできませんし、あなた方もその声を聞くことはできませんが、あなた方のすぐ身のまわりにいて何かと援助してくれております。
自覚なさることがあるはずですが、実際はもっともっと密接な関係にあります。
彼らはあなた方の心の秘密、口に出さないでいる欲求、願望、希望、そして心配なさっていることまでを全部読み取っております。
そしてあなた方の魂の成長にとって必要なものを、地上的体験から摂取するように導いてくれております。
けっして薄ぼんやりとした、影のような、モヤのような存在ではありません。
今なお、あなた方を愛し、以前よりさらに身近となっている、実体のある男性であり女性なのです。
私たちが住む霊の世界をよく知っていただけば、私たちをして、こうして地上へ降りてくる気にさせるものは、あなた方のためを思う気持ち以外の何ものでもないことがわかっていただけるはずです。
素晴らしい光の世界から、暗く重苦しい地上へ、一体誰れが好き好んで降りてまいりましょう。
あなた方はまだ霊の世界のよろこびを知りません。
肉体の牢獄から解放され、
痛みも苦しみもない、
行きたいと思えばどこへでも行ける、
考えたことがすぐ形を持って眼前に現われる、
追求したいことにいくらでも専念できる、
お金の心配がない、
こうした世界は地上の生活の中には譬(たと)えるものが見当たらないのです。
その楽しさは、あなた方にはわかっていただけません。
肉体に閉じ込められた者には、美しさの本当の姿を見ることが出来ません。
霊の世界の光、色、景色、木々、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがいかに美しいか、あなた方はご存じない。
そして、なお、死を恐れる。
"死" というと人間は恐怖心を抱きます。
が、実は人間は死んで初めて真に生きることになるのです。
あなた方は、自分では立派に生きているつもりでしょうが、私から見れば半ば死んでいるのも同然です。
霊的な真実については死人も同然です。
なるほど、小さな生命の灯が粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことには一向に反応を示さない。
霊の世界は人間の言葉では表現のしようがありません。
譬(たと)えるものが地上に見出せないのです。
あなた方が "死んだ" と言って片づけている者の方が、実は生命の実相についてはるかに多くを知っております。
この世界に来て、芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることが出来ます。
画家も詩人も思い通りのことが出来ます。
天才を存分に発揮することが出来ます。
地上の抑圧からきれいに解放され、天賦の才能が他人のために使用されるようになるのです。
地上の言語のような、ぎこちない手段を用いなくても、心に思うことがすなわち霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。
《↑言葉ではなく、思念・意念で意志疎通を行うという意味》
金銭の心配がありません。
生存競争というものが無いのです。
弱者がいじめられることもありません。
霊界の強者とは、弱者に救いの手を差しのべる力があるという意味だからです。
失業などというものもありません。
スラム街もありません。
利己主義もありません。
宗派もありません。
経典もありません。
あるのは神の摂理だけです。
それが全てです。
地球へ近づくにつれて、霊は思うことが表現出来なくなります。
正直言って私は、地上に戻るのはイヤなのです。
なのにこうして戻って来るのは、そうした約束をしたからであり、地上の啓蒙のために少しでも役立ちたいという気持ちがあるからです。
そして、それを支援してくれるあなた方の、私への思慕の念が、せめてもの慰めとなっております。
死ぬということは決して悲劇ではありません。
今その地上で生きていることこそ悲劇です。
神の庭が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場も無くなっている状態こそ悲劇です。
死ぬということは肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になることです。
苦しみから解き放たれて、霊本来の姿に戻ることが、果たして悲劇でしょうか。
天上の色彩を見、言語で説明のしようのない天上の音楽を聞けるようになることが悲劇でしょうか。
痛むということを知らない身体で、一瞬のうちに世界を駆け巡り、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなたがたは悲劇と呼ぶのですか。
地上のいかなる天才画家といえども、霊の世界の美しさの一端たりとも地上の絵具では表現できないでしょう。
いかなる音楽の天才といえども、天上の音楽の旋律のひと節たりとも表現できないでしょう。
いかなる名文家といえども、天上の美を地上の言語で綴ることは出来ないでしょう。
そのうちあなたがたもこちらの世界へ来られます。
そして、その素晴しさに驚愕されるでしょう。
英国は今美しい季節を迎えています。
(この時の交霊会が開かれたのは五月だった・・・編者)
木々は新緑にかがやき、花の香がただよい、大自然の恵みがいっぱいです。
あなた方は造化の美を見て「何とすばらしいこと!」と感嘆します。
が、その美しさも、霊の世界の美しさに比べれば、至ってお粗末な、色あせた摸作ていどでしかありません。
地上の誰一人見たことのないような花があり色彩があります。
その他、小鳥もおれば植物もあり、小川もあり、山もありますが、どれ一つとっても、地上のそれとは比較にならないほどきれいです。
そのうち、あなた方もその美しさをじっくりと味わえる日が来ます。
その時、あなたはいわゆる幽霊となっているわけですが、その幽霊になった時こそ真の意味で生きているのです。
実は今でもあなた方は、毎夜のように霊の世界を訪れているのです。
ただ思い出せないだけです。
それは、死んでこちらへ来た時のための準備なのです。
その準備なしにいきなり来るとショックを受けるからです。
《死後に》来てみると、一度来たことがあるのを思い出します。
肉体の束縛から解放されると、睡眠中に垣間見ていたものを、全意識をもって見ることが出来ます。
その時《睡眠中に訪れた霊の世界での体験の》すべての記憶がよみがえります。
そもそも "死" とは【変化】であり【復活】であり、低いものから高いものへの【上昇】です。
時間と空間にしばられた地上生活のすべての制約から解放された霊の世界を説明しようとすると、何かと困難に遭遇します。
低いものは高いものを理解できません。
有限なるものは無限なるものを包含することはできません。
小さい器には大きい器を入れることはできません。
奮闘努力の生活の中で理解力を増していくほかありません。
(終)
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くどいようですが、利己的な動機による自死や利己的な人生を送った場合の死などには、上述した霊言はそのまま当てはまりません。
「死」とは「どう生きたか」と決して切り離して考える事はできないと私は思っています。
この霊言は「どう生きたか」がその前提としてあるものだとお考え下さい。
ここまでお読み下さり、本当にありがとうございました
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